1/25今週の一言

1/25の「聖書のいづみ」では出エジプト記34章1-7節を学びました。

シナイ山での主とイスラエルの契約締結は、旧約聖書の一つの頂点です。神がイスラエルを自分の民とするという約束を「救い」と信じるからです。そして救いこそ信仰の出発点であり目標でもあるからです。狭い意味ではそれを指して旧い約束(旧約)と呼びます。ただし、「旧約」という呼び方はキリスト教徒からのユダヤ教徒蔑視を含むので、「シナイ契約」と呼ぶ方が安全であり正確です。

シナイ契約は複雑な経緯をたどって成立しました。契約の仲介者であるモーセが神と面会し、「神が作った十戒の書かれた二枚の石の板」(32章16節)を授けられている最中に、もう一方の契約当事者のイスラエルの民が神を棄てるという行動をとったからです。神は激怒し一旦は民を滅ぼそうとしますが、仲介者モーセが神を宥めて思いとどまらせました。ところがそのモーセが、実際に民の造反を目にした時に神以上に怒り、感情の赴くままに石の板を粉々にしてしまいました(32章19節)。モーセは大粛清を敢行し、民は分断されました。また、神と民との間にも深刻な亀裂が残りました。

33章は、大まかにまとめれば、仲介者モーセによる民と神との再接近・再契約交渉の物語です。これを受けて34章はシナイ契約のやり直しが記されています。

主はモーセが砕いた石の板をモーセが作り直すように指示します。そしてもう一度シナイ山に登り、神の前に立つことを求めます。そうすれば、十戒を神が書き直してくれるというのです(1-3節)。

山頂は天と地の結節点です。モーセはシナイ山頂に登り、主は天からシナイ山頂に降ります。そこに神とモーセは共に立ちます(4-5節)。続いて語る主の言葉の中に、神の性質と人間の性質が表れています(6-7節)。

主は「憐れみ深く恵みに富む神、忍耐強く、慈しみとまことに満ち」た神です。慈しみと訳されたヘブライ語ヘセドは、「誠実で堅固な愛」という意味の言葉です。しばしば、ギリシャ語のアガペー(普遍的な神の愛)に比べられる重要単語です。神の愛は誠実であるので、悪が行われる場合は罰があります。しかし、基本的にはその悪も含めて、神は「罪と背きと過ちを赦す」慈愛の神です(7節)。「赦す」の直訳は「挙げる」です。人間の悪は決して帳消しにはなりません。神から指摘され、棚の上に挙げられます。人は幼い時から死ぬまで悪いのですが、その不実な者のためにイエスは殺され罪をゴルゴタの山の上に棚上げにし続けておられます。この神の前で何度でも愛と正義の小さな行いをやり直すことが求められています。JK