2/15の「聖書のいづみ」では出エジプト記34章11-13節を学びました。シナイ契約を再締結しようとする場面の続きです。原文では現在分詞(英語のingにあたる)が多用されています。これはヘブライ語においては珍しい現象です。物語が、今まさに契約を結びつつあるという緊迫感を伝えている証左です。
主(ヤハウェ)という神とイスラエルの民が契約を結ぶということは、イスラエルの民が他のものと契約を結ばないということを意味します。特にパレスチナ地域の先住民たちと契約を結ぶことが厳しく禁じられます(12節)。なぜなら「それはあなたの真ん中で罠となるかもしれない」からです。罠の意味するところは、「唯一の神への信仰が多神教的なものに変質すること」でしょう(列王記下17章7節以下)。
先住民族たちがどのような文化・習俗・信仰を持っていたかは、ウガリト王国からの出土品によって類推されます。出エジプトとほぼ同時代のウガリト文書は、カナン人にごく近い人々がどのようにしてバアル等聖書に登場する神々を信仰していたかを叙事詩のかたちで残しています。その中で、最高神エルの配偶神としてアシェラという女神が登場します。13節の「石柱」が男神、「アシェラ像(別訳「聖木」)」という木柱が女神という、夫婦一対の神像と考えられます。ウガリト叙事詩は夫婦関係にある神々や、雨をもたらす神であり牛のかたちをとるバアルの死と復活を描きながら、五穀豊穣を祈る信仰です。
前7世紀ごろに位置づけられるイスラエルの民家から出土された壺は先住民とイスラエルの文化的近さを示すものでした。壺の表面に牛と人間の合わさったような半神半獣の男神と、その後ろに女神が描かれていました。そして「ヤハウェとそのアシェラ(配偶神の意)」という文字が記されていたのです。ヤハウェ神は多神教の中の一つとして、カナン人が信じる仕方と同じようにイスラエルの人々に拝まれていた可能性が高いのです。その理由は、鉄器を使う農業や商工業など先進的なカナンの文化を積極的に採り入れ、富を得ることにあったのでしょう。言わば富国強兵・殖産興業です。「神か富か」という問いの前では、先住民との契約は「経済至上主義」に膝を屈めることを意味するのです。「罠」の真意はそこにあります。
過去の簒奪の歴史に関しての反省を込めつつ、アイヌ民族等先住民たちとの共存を積極的に図るためには、諸先住民族の追放と撲滅を謳う聖句は「解釈の十字架」です。しかし、士師記1章の証言や上記出土品は両者の民間レベルでの平和的共存も示唆します。つまり背後にある経済至上主義をきちんと批判することが肝要です。多神教であれ一神教であれ「むさぼり」が罪となります。JK