3/15の「聖書のいづみ」では出エジプト記34章21節を学びました。「祭儀的十戒」の第四戒です。安息日を守るようにとの規定ですが、「安息日(シャッバス)」という単語が一切用いられていないことに特徴があります。短い箇所なので私訳を掲げておきます。
六日間あなたは働く。そして第七の日においてあなたは休む。耕作期と収穫期においてあなたは休む。
ここには、「礼拝をせよ」という命令がありません。むしろ、「労働をしないように」という趣旨が前面に出ています。そのことは、「倫理的十戒」の第四戒(20章8-11節)とも、また、「契約の書」の安息日規定(23章12節)とも通底している趣旨です。七日に一度は、何も働かないということが労働者にとって良いことと考えられています。「耕作期」「収穫期」は、農繁期という意味です。どんなに忙しい時期でも、週休一日はせめて確保しようということです。なぜなら神も六日間働いて七日目を休んだからです。
動詞「働く」「休む」は、「未完了形」です。命令ではないので、「~すべき」から「~するかもしれない」まで、幅広い翻訳の可能性があります。私訳は中立的な立場です。厳しい命令ととらずに、神の人間社会に対する期待と考えます。
「働く」(アバド)は、「耕す/礼拝する/仕える」などの意味もあります。耕作期・収穫期という言葉からも明らかなように、ここでは農作業が想定されています。荒野を旅している途中という文脈からは不自然なかたちで浮いていますが、約束の地での暮らし方が規定されていることが分かります。
「休む」(シャバス)は、「止める」が原意の動詞です。この動詞から派生して「安息日」(シャッバス)という単語が生まれました。「仕事をやめる」と訳す新共同訳は、意味が通りやすくなるように上手く補っています。農業従事者にとって週休一日はかなり厳しい制約です。さらに農繁期であってもこれを守る必要があるというのです。人が全世界を得ても命を損なっては何の意味もないからです。
「繁忙期に限り100時間未満の残業を認める」という「抜け道」を落としどころとして、労使のトップが折り合いをつけたようです。「繁忙期ならば過労死は起こっても良い」かのような印象を受けたのは、わたしだけでしょうか。
キリスト者にとって日曜日が最も忙しい日となるならば、皮肉なことに、真面目な信徒の敬虔な営みによって安息日の趣旨は没却されます。「なるべく礼拝のみ」という日本一暇な教会を目指すことの意義がその点に存します。JK