2017/09/13今週の一言

9/13の「聖書のいづみ」は、サムエル記上248節前半を学びました。

先週から引き続く「ハンナの祈り」のうち、今回は中核部分です。社会的強者と弱者の逆転、富者と貧者の逆転、すでに満腹している者と空腹のまま放置されている者との逆転が鮮やかに対比されています。逆転を起こす神が、生きて働く解放の神として賛美されています。原文は動詞の分詞が多用されており、神の現在進行形の活動が前面に押し出されています。

 旧約聖書の内部での共鳴としては、洪水後の全被造物と神との契約の場面(創世記9917節)があります。神は二度と世界を滅ぼさない約束のしるしとして、「虹」(ヘブライ語ケシェト)を置きます。虹は「弓」(4節)と同語です。英語のrainbowbowの関係に似ています。軍事力に代表される暴力的解決を神は止めたのです。力による支配から、仕えることによる支配への転換です。

「ハンナの祈り」は、新約聖書の「マリアないしはエリサベトの賛歌」(ルカによる福音書14655節)とも共鳴しています。「主はその腕で力を振い/思い上がる者を打ち散らし/権力ある者をその座から引き降ろし/身分の低い者を高く上げ/飢えた人を良い物で満たし/富める者を空腹のまま追い返されます(ルカ15153節)」。ここにも軍事力や権力への批判が見て取れます。

 「ハンナの祈り」から見れば、「マリアの賛歌」というよりも、むしろ「エリサベトの賛歌」と呼ぶべきでしょう。「子どもを生まないことで苦しんでいた女性が、その雪辱を晴らすことに成功したことについて、神に感謝をする」という文脈は、ハンナとエリサベトに共通しているからです。マリアはむしろ予期せぬ出産で苦しむ女性でした。

 旧新約聖書を貫く指針として「生と死を司る神」があります(6節)。「ヨブの賛美」(ヨブ記121節)とも共鳴していますし、イエス・キリストの十字架と復活をも指し示しています。ある人が、いつ・いかに生まれまた死ぬのかは、神のみが把握する永遠の秘密です。人は塵から創られ塵へと帰るように、神によって定められています。ただし、非業の死を遂げた義人を、神は必ず起こしてくださいます。

十字架と復活の主イエスは、貧富の逆転、空腹・満腹の逆転、泣き・笑いの逆転を約束してくださいました(ルカ62025節)。この部分も詩文で語られています。また、内容的にも「ハンナの祈り」と共鳴しています。

全聖書を逆転の叙事詩として読み解くことをお勧めします。 JK