9/20の「聖書のいづみ」は、サムエル記上2章8節後半から11節までを学びました。「ハンナの祈り」の締めくくり部分です。
今までは出産を巡る逆転が主題として取り上げられていましたが、8節後半から突如「天地創造の神」が賛美されます。「いのちの主」に対する感謝が、「世界を据えられた方」への信仰告白に展開されたのでしょう。ヘブライ語で世界(テベル)という単語はあまり使われない珍しい言葉です。語源的には「産む」という意味があります。世界よりもむしろ「天と地」(10節参照。創世記1章1節も)という表現が好まれます。
ハンナの祈りは一貫して「力」を批判します。新共同訳では同じ「力」と翻訳されていますが、4節の「力」(ハイル)、9節の「力」(コアハ)、10節の「力」(オズ)は、すべて異なる単語です。
前二者の含意については、ゼカリヤ書4章6節が解釈の鍵となります。「武力(ハイル)によらず、権力(コアハ)によらず、ただわが霊によって、と万軍の主は言われる」。軍事力と政治権力が、ゼカリヤ書でもサムエル記上2章でも批判されているということが分かります。
「人は力(コアハ)によって勝つのではない」(9節)。人生における、一つの深刻な苦労と克服の経験が、ハンナに世界大の真理を教えました。ここでの「人」は、「男性」「夫」「各人」を意味するイーシュという単語です。上から下へと弱者を押えつけていく男性中心社会の力による支配の論理は、世界中にも、また各個人にも及んでいます。しかし、最終的な「力」(オズ)は、神の任命した「王」「油注がれた者」に与えられます(10節)。オズには前二者よりも広い意味があり、基本的な意味は「強さ」です。真の強さとは何かを考えさせる単語です。
聖霊によって生まれたイエスは、軍事力と政治権力によって十字架で殺されました。ここに世界に対して仕える姿の究極があります。ナザレのイエスは、僕となったわたしたちの王であり、神が油注いで任命した救い主・キリストです(10節)。神はイエスを陰府の淵から起こし引き上げました(8節)。そしてイエスの霊を、わたしたち一人一人に注いだのです。この霊によってわたしたちは力(オズ)を得ます(使徒言行録1章8節)。この一連の出来事には、「弱さが強さであり、仕えることが支配することである」という逆説や逆転が響いています。
ハンナの祈りは、イエス・キリストの出来事を予告しています。軍事予算が増えてきたわたしたちの国のあり方にも吟味が必要です。 JK