7/4の祈り会では列王記下17章7-23節を学びました。
今回は聖書がどのように形成されてきたかを学びました。第一の段階は前8世紀の預言者とその弟子たちによる預言書群の形成です(アモス・ホセア・イザヤ・ミカ)。この四つの集団の思想は部分的に継承があり、全体として相互共鳴しています。いずれも北王国の滅亡を預言していたからです。
前722年北王国が滅亡し、ホセアの弟子たちと北の書記官階級(高級官僚)の一部は南王国へ移住します。この人々は南王国の預言者集団たち(特にイザヤ)と、イザヤの影響下にいる書記官階級の一部と合流します。
書記官は国の歴史文書を保存しています。南北の書記官階級の合流が壮大な企画を生み出します。それが「申命記的歴史書」の編纂です。現在の旧約聖書の文書名で言えば、申命記・ヨシュア記・士師記・サムエル記・列王記という一つながりです。これが第二段階、前7世紀の出来事です。
申命記的歴史書の特徴は以下の通りです。<①北王国滅亡の原因を偶像崇拝や他神・多神を拝む王に対する神の裁きと考える(預言者の主張と同じ)、②南王国が同じ轍を踏んで滅亡しないように警告し改革指針を盛り込む、③律法(申命記)によって「主の目に正しいこと」が何かを判断・実践できるようにし、これをもって南王国を改革する、④ダビデ王朝・南ユダ王国の正当化。>
この文書活動は当初ひそかに行われていました。というのも、時は「アッシリアの平和」と呼ばれる思想弾圧の時代だったからです(前700-650年)。アッシリア帝国の傀儡政権だった南王国マナセ王の治世には、預言者たちや上述の書記官階級の人々(申命記的歴史家)は文書活動が禁止されていたと推測されています。
聖書を生み出す最初のきっかけは少数の勇気ある非国民的発言(敗戦の預言)でした。敗戦を神の裁きと考える神学に基づいて罪責告白としての歴史書を書くことが、これに続きます。この歴史書は過去のみを取り扱わず、未来の世界を変革しようという信仰者の意思に満ちています。その気迫の火は地上の権力から弾圧されてくすぶっても決して消えることなくいつか花開くのです。前622年南王国ヨシヤ王の改革によって申命記的歴史家たちが歴史の檜舞台に登ります。(JK)