2/14の聖書のいづみでは、サムエル記上4章14-18節を学びました。神殿の町シロの祭司エリが死ぬ場面です。死に方は、生き方の集大成とも言えます。エリがどのように描かれていたのかを、振り返ってみましょう。
エリの初登場は、サムエルの母親ハンナとの対話の場面でした(1章9節)。その時もエリは所定の椅子に座っていました。今日の箇所と対応しています(4章13・18節)。はじめハンナが酔っ払っていると勘違いしたエリは、対話の後にハンナがとても真摯に祈っていることを認め、悔い改めてハンナを祝福します(1章17節)。率直で誠実な人柄が伺えます。ハンナは祈りが叶えられてサムエルを授かった時に、この人と見込んで祭司エリに息子を「捧げ」ました(2章11節)。
父親としてのエリは、「子育てに失敗した人物」として描写されています。「そもそも子育てに成功/失敗があるのか」という問題もありますが、聖書は厳しく息子たちの悪行をエリの責任としても問い詰めています(同29節)。ただし、エリは放置していたわけではなく、彼なりに息子たちを諭してもいます(同23-25節)。いささか酷です。特に二人の息子が同日に死ぬことの予告は、同じ一父親として同情の念を禁じえません(同34節)。
エリはサムエルが預言者・士師として召されたことを、本人よりも先に看取した人物でもあります(3章1-9節)。神がサムエルに呼びかけていることにエリが気づくことができた理由は、おそらく、エリもまた同じ呼びかけを聞き、士師とされていたからでしょう。「彼は四十年間、イスラエルのために裁きを行った」(4章18節)は、エリが士師だったことを示しています(士師記10章2節他)。
サムエルは師匠エリに向かって、神の預言を告げます。その内容は、「息子の悪行のゆえにエリ家を絶つ」というものでした(3章12-14節)。エリは潔くその言葉を受け入れます(同18節)。エリは息子たちの死を覚悟・納得していました。
ペリシテ軍との戦争に、軍部が神の箱を担ぎ出したことに対するエリの態度は不明です(4章3-4節)。二人の息子が従軍祭司として神の箱に同行したことを考えると、エリは反対・息子たちは賛成だったのかもしれません。しかし制止できなかったのでしょう。エリは息子たちよりも神の箱の安否が心配でした。神の箱は祭司の職責に関わるからです。手ひどい敗戦、息子たちの死を身じろぎもせずに聞いたエリは、神の箱が奪われたことを聞いた時に、のけぞって椅子から転げ落ち、首の骨を折って死にます(同16-18節)。生涯現役の、根っからの「仕事人間」。それで良いのかという問いが残る死に方です。 JK