国家を失ったユダヤ人たちが政治権力者を自分たちの手で選ぶことができない「もどかしさ」は、政治権力者としてのメシア(救い主/キリスト)の登場を待ち望む期待につながります。その際には、二つの伝統が融合します。つまりメシアはダビデの子孫であるべきということと、メシアにはカリスマ性があるべきという二つの伝統が、「ユダヤ人の王」の要件となります。
旧約聖書の外典に登場するマカバイ家による独立国家や(ハスモン王朝、前2-1世紀)、ローマ帝国によって王としての統治を許可されたヘロデ大王は、いずれも「不十分なユダヤ人の王(メシア)」でした。マカバイ家もヘロデ家もダビデの子孫ではありません。マカバイ家にはカリスマ性がありましたが、ヘロデ王家にはそれすらありませんでした。ヘロデ大王の死後(前4年)、大王の領土は分割されます。親ローマ帝国派のユダヤ植民地政府によるユダヤ地方(首都を含む中央部分)の支配、ヘロデ大王の子孫たちによるガリラヤ地方等の支配が混在することとなります。中央政府も地方政府もローマ帝国による植民地支配を受けていました。
このもどかしい状況の下、ガリラヤ地方ナザレ村にイエスが登場します。彼はメシアの二つの要件を満たしていました。そこで当然にユダヤの民は、イエスを政治権力者として押し上げようとします。「ユダヤ人の王」という罪状書きを掛けられた「ナザレのイエス」の首都エルサレムでの十字架刑死は、選挙ということを考える際に、さまざまに示唆深いものです。
ガリラヤ地方はヘロデ大王の息子である領主ヘロデ・アンティパスが統治をしていました。ここには世襲制度が残っています。また、「ヘロデ党」という地域政党のようなものもあったようです。ヘロデ党の実態は謎のままでヘロデの「私兵」(ナチスの突撃隊のようなもの)とも推測されます。重要なことは、世襲の領主というだけではなく、支援者たちもいたことによって、ヘロデの政治的基盤は強かったということです。安定政権です。ただしヘロデ党は、中央政府には議席を得ていません。領主ヘロデの政治権力は、ガリラヤ地方にのみ行使されるものです。
ヘロデ嫌いかつローマ嫌いであるガリラヤ住民が、自分たちの政治的代表を選ぶためには「武力蜂起による反乱」しか手段がありません。事実、ガリラヤ地方で「ユダの乱」が起こったと新約聖書に証言されています(使徒5:37)。
非暴力の愛を説くイエスの一団は、武力蜂起によってガリラヤ地方の政治権力を獲得しようとはせず、首都エルサレムへと向かいます。JK(続く)