2018/09/26今週の一言

歴史的批評的学問をいとなむ聖書学者たちの大半は、マルコ福音書の著者が使徒言行録に登場する「マルコ」(使徒言行録12章12節)であることを否定します。同様に、ルカ福音書(・使徒言行録)の著者がパウロの友人「ルカ」(フィレモンへの手紙24節)であることも否定します。曰く、「それらの仮説はすべて古代教会の言い伝えによるものであって、歴史的信憑性に欠ける」とのこと。

しかし「著者を資料的に裏付け確定できない」からといって、「その人が著者ではない」とまでは学問的に確言できません。すべての言い伝えが正しくないという確証もないのですから。以下はわたしなりの歴史の再構成です。

使徒言行録に登場するマルコの母親は有力な信徒で、自宅を「家の教会」として開放していました(後30年代)。母の後押しもありマルコはパウロの第一回宣教旅行を共にしています(使徒言行録13章5節)。しかし途中で帰宅してしまいました(同13章13節)。喧嘩別れだと推測されます(同15章36-41節)。

マルコ福音書の最大の執筆動機はイエスの生き様、特にガリラヤでの活動を描くことにあります。それは生前のイエスを見たことがないパウロに対する強烈な批判となります。マルコ福音書には抽象的な贖罪信仰という教理はほとんど書かれません。パウロの諸手紙(後40年代から執筆)と対照的です。

福音書の著者マルコはギリシャ語を第一言語としていません。パレスチナ在住のユダヤ人キリスト者です。なぜその人が不得手なギリシャ語でイエスの伝記を書こうとしたのでしょうか。すでにギリシャ語で書かれたパウロの手紙が諸教会に出回っていました。福音書の創作動機は、パウロの伝える「神の子キリスト」という教理に対して、「人の子イエス」の言動をぶつけてパウロを批判するためでしょう。人気を博したマルコ福音書は後50年代より諸教会の礼拝で用いられます。

ルカはパウロのことを直接良く知っています。彼こそパウロをフィリピ教会に招いた人物です(同16章9節)。ルカはパウロに同行し、ローマでの彼の最期も看取ったと思われます(同28章11節)。

ルカの通う教会は反パウロのマルコ福音書を礼拝で用いていました。その礼拝にルカが「パウロ型主の晩餐」を導入します(Ⅰコリント11章・ルカ福音書22章)。さらにルカは、マルコ福音書の続きとして使徒言行録を著し、肯定的にパウロのことを紹介します(後60年代)。第一言語がギリシャ語であるギリシャ人キリスト者ルカは、流暢なギリシャ語によるマルコ福音書の全面改訂を企てます。パウロ・マルコ間の調停努力の実りとして、ルカ福音書が編まれます(後70年代)。JK