10月17日の「聖書のいづみ」は、サムエル記上9章1-4節を学びました。いよいよイスラエル史上初の王サウルの即位の経緯に差し掛かりました。
さて旧約聖書各巻には大雑把に言うと二種類の配列があります。ユダヤ教式配列とキリスト教式配列です。元々の旧約聖書各巻はユダヤ教式配列で並べられていました。それに変更を加えたのは旧約聖書をギリシャ語に翻訳した(七十人訳聖書)ユダヤ教徒です。キリスト教会は、七十人訳聖書を重視したので、その配列を参考にして独自の並べ方を発展させました。新共同訳聖書もその流れの中にあります。
旧約聖書の聖書研究については、ユダヤ教式配列を重視することが定石です。 ユダヤ教式配列の場合、サムエル記は士師記の直後に置かれます。キリスト教式配列においては、士師記とサムエル記の間にルツ記が置かれています。サウル王誕生については、ルツ記よりも士師記との関係を重視したほうが良いでしょう。
サウル王の出身部族はベニヤミン部族と言われます。士師記19-21章という最後の3章で、内戦により徹底的に小さくされた部族です。部族の滅亡も危ぶまれるほどの敗戦でしたが、シロの町(エフライム部族)に対する略奪婚などで何とか人口を増やして凌いだのでした。その小さな者が神に選ばれます。聖書の物語は、このような「切り倒されること(十字架)」と「切り株から芽が出ること(復活)」の繰り返しによって進みます。エデンの園から世の終わりまで、そうです。
サウルは父親の飼う、いなくなった雌ロバを探すために方々を探します。この物語は「いなくなった羊を探す羊飼いの譬え話」(ルカによる福音書15章1-7節)の着想の一つだと思います。
雌ロバを探すサウルは、王を探す預言者サムエルに出会うこととなります。サウルという名前には、「尋ね求められている者」という意味があります。ここには信仰というものが持つ「逆説の真理」が込められています。
わたしたちは真面目に、メシアとは誰かを尋ね求め、キリストの道を追い求めています。キリスト者であろうとなかろうと、礼拝を続けている人は「求道者」です。真面目であればあるほど、主体的選びによって日曜日の午前の過ごし方を決めているように思えます。しかし、実は逆なのではないでしょうか。
わたしたちがキリスト信仰を把握しているのではなく、神がわたしたちを掴まえている。わたしたちが教会を選んでいるのではなく、神がわたしたちを選んでいる。捉えられているからこそ、捉えようと努めているのではないでしょうか(フィリピの信徒への手紙3章12節)。JK