2月27日の聖書のいづみは、フィリピの信徒への手紙1章12-14節を学びました。以下は、ギリシャ語原文の語順を意識した直訳調の私訳です。
12 わたしは以下のことをあなたたちに知ってほしい、兄弟たちよ、すなわち、わたしに関する諸事柄が、むしろ福音の前進へと至ったということを、
13 その結果、キリストにあるわたしの鎖が明らかになったということを、近衛師団の建物全体において、また他のすべての人々にわたって、
14 また、主にある兄弟たちのより多数がわたしの鎖でもって確信しながら、より豊かに恐れなく、かの言葉を大胆に話しているということを。
パウロがフィリピ教会のキリスト者たちに「知ってほしい」(12節)という願いは、文法上三つの事柄にかかっています。①パウロの軟禁・長期拘留状態が福音の前進をもたらしたこと、その結果、②キリストに捕らえられているパウロが近衛師団に捕らえられていることが明らかになったこと、③キリストに捕らえられている現地のキリスト者たちがより大胆に福音宣教に励んでいることの三点です。
一つの長い文です。しかし、章節の区切りという便利な道具を使うためには、なるべく三つに区切りたいものです。それは動詞が最後に置かれる日本語への翻訳の場合、至難の技です。また、長い文は日本語が苦手な人にとっても理解しづらいものです。種々の日本語訳に苦闘の跡が見えます。
翻訳上の課題は、文章の難易度だけではありません。「兄弟」(12・14節)という言葉は、この場合「各個教会の全信徒」の意味で使われています。ここには今日的問題が潜んでいます。男性が全体を代表するという考え方です。英語のmanが男性というだけではなく人間という意味をも持つのと同種です。性差別の観点から、このような考え方は批判されるべきでしょう。
聖書協会共同訳は、「きょうだい」としました。平仮名にひらくことで、女性も含むという工夫です。本田哲郎訳は「仲間のみなさん」としました。ここには釜ヶ崎の日雇い労働者たちの視点で翻訳し、その人たちに分かりやすく訳したいという本田神父の魂が垣間見えます。
パウロの信じた福音。「不信心な者をそのまま義と認める神を信じることによる救い」を、どのように分かりやすく届けることができるのでしょうか。直訳の意味を外さず、今日の宣教課題をも引き受けつつ、日本語が苦手な人に分かるように噛み砕いた翻訳が必要です。そのような聖書を礼拝に使いたいものです。JK