2019/04/03今週の一言

カトリックは七つの「秘跡Sacrament」を保持しています。秘跡とは救いを保証する儀式のことです。それらの七つを行わなければ救われないということにもなります。洗礼・堅信・聖体・結婚・ゆるし・叙階・塗油が、七つの秘蹟です。

人間の行いの一種である儀式による救いを否定したプロテスタント諸派は、秘跡のうち二つだけを「礼典Ordinance」として残しました。主の晩餐(聖体にあたる)とバプテスマ(洗礼)です。Ordinanceの意味は、遵守・命令。聖書の中でイエスが明確に命じた儀式のみを残すという意思が見えます。そして、この二つの儀式でさえも、決して宗教的救済を保証するのではありません。特にカルバン神学の影響を受けたバプテストにとっては、礼典も救いを想起し象徴するものでしかありません。救いはキリストのみによって恵みとして与えられるものです。

バプテスマは、イエス・キリストによる救いを象徴し、「見える化」する儀式です。そしてバプテスト派は、全身を水で浸すという方式が、救いをより良く象徴すると、試行錯誤の上判断しました。最初期は水をかける方式(灌水礼)もありましたが、次第に海や川、水槽での全身浸礼が定着しました。それによりバプテスマ志願者は、十字架で殺されたイエスと同じように「処刑され」、神によってよみがえらされたキリストのように「起こされ/引き上げられる」のです。

もう一つのバプテスト派のこだわりは、志願者自らの作成した「信仰告白」です。いわゆる「嬰児洗礼」(生後まもなく行われる洗礼)と、「堅信礼」(嬰児洗礼受領者が判断能力を備えてから行う信仰保持の確認儀式)の二段階が、バプテスト派にはありません。自覚的信仰を持つ「信者の教会Believer’s Church」と呼ばれます。全身浸礼に先立って、会衆の前で志願者は自らの言葉で信仰告白を披露します。会衆は信仰告白に基づいて、その人が自分たちの信仰共同体の成員にふさわしいかどうかを判断するのです。牧師の判断ではありません。

「叙階」(司祭の昇進時の儀式)は廃されたはずですが、多くのプロテスタントは「按手礼」という形で残しています。按手礼を授けられていない牧師は、二つの礼典を執行できないという伝統は(ついでに言えば、なぜか毎週の祝祷もできないという伝統)、日本バプテスト連盟の中にもあるように思います。浸礼執行時の宣言で、「○○さん、わたしはあなたにバプテスマを授ける」という言い方よりも、「○○さん、泉バプテスト教会はあなたにバプテスマを授ける」という言い方の方が、バプテスト派としては望ましいでしょう。平時は牧師が執行する礼典も、教会の委託のもと行なっています。牧師不在時、教会員が執行するのは当然です。JK