2019/05/15今週の一言

5/15の「聖書のいづみ」ではフィリピの信徒への手紙1章27-28節を学びました。直訳風私訳は以下のとおりです。

27 あなたたちはキリストの福音にのみふさわしく市民生活をしなさい。それは、来てあなたたちを見るにせよ、離れ続けているにせよ、わたしがあなたたちについて〔次の〕事々を聞くためである。すなわち、あなたたちが一つの霊において堅く立っているということを〔聞くためである〕、一つの精神で福音の信仰のために共に競うまま、

28 また、何においても反対する者たちによって揺さぶられないまま。それは彼らにとって滅びの表示であるが、あなたたちの救いの〔表示〕。そしてこのことは神から〔生じた〕。

27節の「市民生活をする」という動詞は、新約聖書の中で他には使徒言行録23章1節にしか用いられません。フィリピ教会に連なるルカとパウロしか用いていない特別な単語です。フィリピというローマの植民都市には、ローマ市民権をもつ退役軍人たちが多く住んでいました。英語の「citizen(公民/市民)として生きる」という含意で、フィリピの教会では「生活する」という意味で日常的に使われていたのでしょう。

キリストの福音にふさわしい市民生活とは何でしょうか。福音はわたしたちを自由にします。自由となった人々は「一つの霊において」集まって礼拝をするように導かれます。教会です。任意で集まる人々には自治がふさわしいものです。自由教会は自治と市民性教育citizenship educationの幼稚園です。

現在聞いている、あるいは、将来聞くことを期待しているフィリピ教会の様子は、27節途中の「すなわち」から28節前半「揺さぶられないまま」までです。日本語の語順で言えば、パウロはフィリピ教会が「…共に競うまま」「また…揺さぶられないまま」「固く立っている」と聞くのを喜んでいます。

「共に競う」(27節)は団体競技のようなイメージです。パウロ主義に立つ教会形成をする同一チームと、そうではない力点(例えば割礼遵守などのユダヤ主義)の教会形成をする諸チームがいたことが伺われます。「滅び」は絶滅という意味合いではありません。不自由な生き方を選んでいることそのものが滅びです。「救い」とは福音によって自由にされることです。

「滅び」であれ「救い」であれ、いずれにせよすべては神から生じることがらです。人間の側で、人間仲間を線引きするような考え方は採るべきではありません。世の終わりの時にしか、誰が滅び誰が救われるかは判明しないからです。JK