2019/10/02今週の一言

10/2の聖書のいづみでは、フィリピの信徒への手紙2章25-27節を学びました。以下にギリシャ語の語順を意識した直訳風私訳を記します。

25 さて私は、エパフロディト・私の兄弟かつ共なる働き人かつ共なる兵士、あなたたちの使者かつ私の必要の奉仕者を、あなたたちのもとに送ることが必要だと考えた。

26 なぜなら彼があなたたちすべてを慕っていたからだ。そして彼が病気だったことをあなたたちが聞いたので、彼は深く苦しんだ。

27 そして実際彼はほとんど死に至る病気だった。しかしながら神が彼を憐れんだ。今や彼だけではなく、むしろ私をも(神が憐れんだ)。その結果、私は苦痛の上の苦痛を持たないようになった。

エパフロディトはフィリピ教会の中心人物の一人であり、ひょっとすると「使徒」であったかもしれません。25節「使者apostolos」は「使徒」とまったく同じ単語だからです。

4章18節を参考にすると、エパフロディトは拘留中のパウロへのフィリピ教会からの支援物資を運ぶために遣わされたと推測できます。25節「私の必要の奉仕者」はそのことを含意しています。「共なる働き人」「共なる兵士」はフィレモンへの手紙1・2節にも登場する単語群です。フィリピとフィレモンが同時期に書かれたことを伺わせます。

エパフロディトはローマで軟禁状態のパウロを見舞うために来たのですが、可哀想なことに現地で病気に罹ります。それはかなり重篤な病気でしたが、神の憐れみにより奇跡的に治りました(26-27節)。

パウロがエパフロディトをテモテと同じ時にフィリピに遣わしたのか(手紙の運搬者として)、それともエパフロディトのみをテモテよりも先に帰したのかについては議論があります。私訳は先に帰したとする立場です。手紙の共同執筆者(口述筆記者)がテモテのみであることもその根拠の一つです(1章1節)。

パウロにとってエパフロディトが病気になったことは、自分自身の苦痛でもありました。病弱なパウロが、他の病人を看病することはさらに辛いことだからです。もしエパフロディトが客死したら、「苦痛の上の苦痛」(27節)となったことでしょう。だから、神のエパフロディトに対する憐れみ・癒しは、パウロに対する憐れみでもあります。助かったというパウロの本音が伺えます。

人間の交わりは支えたり支えられたり、苦痛や迷惑をかけ合うことです。それを成立させるのは神の憐れみのみです。 JK