11/3「文化の日」は、明治天皇の誕生日であり、大日本帝国憲法の改正・日本国憲法の制定がなされた記念日です(半年後の5/3に施行)。
明治以来ずっと「天皇教」という一種の国家宗教は、新聞やラジオやテレビの普及に伴って、それらを媒体に布教されてきました。わたしたちは現憲法が施行された後も天皇や皇族を畏れ敬うように仕向けられています。憲法制定時に天皇条項を削除できなかったことが痛恨の極みです。世襲による皇位継承を定めた2条は、平等原則を定めた14条や、公務員の任免を定めた15条と矛盾しています。皇族という貴族の世襲によって「象徴」(1条)という公職が自動的に継承されることは憲法内部の矛盾です。主権者の総意を問わずに継承させているという点では、1条違反でさえあります(「この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」)。
世襲を支えるためには天皇個人だけではなく、その家族も公費で養う必要があります。総理大臣に子どもがいないことは問題がないのに天皇にとっては大問題です。裏側から言えば、天皇も皇族も個人として尊重されていません(13条違反)。
2条に「皇室典範」という法律が言及されています。憲法に明記されている唯一の法律であり、皇位の継承について定める法律です。この皇室典範がさらに矛盾を広げています。皇室典範1条「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」。これは明確に女性差別ですから憲法14条違反です。
皇室典範23条1項には「天皇、皇后、太皇太后及び皇太后の敬称は、陛下とする」とあり、同2項「前項の皇族以外の皇族の敬称は、殿下とする」とあります。国民・住民の中で天皇や皇族に対する敬称の使い方だけが法律で定められているのです。上下関係は相対的なもので、だれを尊敬するかしないかは自由なはずです。法律上の敬語の義務付けは、憲法21条「表現の自由」に反します。
「陛下」「殿下」以外に、皇族に対して「○○さま」と呼ぶのは法定以上の行き過ぎです。皇族の幼児についてアナウンサーが真顔で、「○○さまがお元気なご様子で初めて△△をなさいました」などと報じています。日本語文法上は不自然な敬語表現ですが、日本語文法に厳しいはずの報道の世界で横行しています。「良い人であるから天皇を尊敬する」という人も、良い人かどうか判然としない幼児の皇族に対する敬語使用についてはどのように正当化できるのでしょうか。
これはもう「宗教」の世界です。公共の電波を通じて、国を挙げてわたしたちは一つの家族を尊敬するように仕向けられています。効果は絶大で、前天皇明仁への好感・尊敬(ありがたみ)を今や7割の人が持っています。親しくもないし、世話されてもいないのに、むしろ、世話をしているのはこちらなのに、なぜ。JK