2/19の聖書のいづみでは、フィリピの信徒への手紙3章19-20節を学びました。以下にギリシャ語の語順を意識した直訳風私訳を記します。
19 その者たちの終着は滅び。その者たちの神は腹。そしてかの栄光は彼らの恥の中に(ある)。その者たちは地上的な事々を考え続けている。
20 というのも、私たちの市民性は天々の中に存在しているからだ。そこから救済者をも私たちは受け入れている、主イエス・キリストを。
19節に繰り返される「その者たち」は、18節と同じくユダヤ民族主義に立つキリスト者たちのことです。パウロは、その人々を激しく批判しています。その者たちの終着が滅びであるということや、その者たちの神が腹であるということ、栄光ないしは名誉が彼らの恥の中にあるということの趣旨は今ひとつはっきりしません。ここは激しい批判だとだけ理解すればよいでしょう。
20節との関係で重要なのは、「その者たちは地上的な事々を考え続けている」という一文です。地と天が対比されているからです。民族主義というものは、結局地上の考え方(人間の罪の所産)であり、地に分断を引き起こすものです。わたしたちはむしろ天上の考え方に立たないといけません。
天から来られたイエス・キリストを救い主として受け入れることがキリスト信仰です。ここでパウロは現在時制を用いています。今、キリストを受け入れている人々の市民性(英訳citizenship)は天に現に存在しています。天に存在する市民性が、地上に温存されている民族主義と反対のものです。伝統的に日本語訳は「国籍」「本国」としますが、現代的な意義を踏まえて、あえて「市民性」とします。
韓国では「市民性教育」が盛んです。英語Citizenship Educationの直訳です。日本語ではしばしば「主権者教育」と訳されます。その内容は、自治の担い手の育成です。日本の公民という教科では、民主政治制度についての知識ばかりが教えられています。知識だけではなく、自治を担う市民/主権者となることの意義や、実際に何をすることなのかの体験において、日本の主権者教育は立ち遅れています。現実の政党や政策について論じないからです。韓国では政治的デモに参加することも教育の一環として奨励されています。日本で、政治の話題が大人も子どももタブーとなっていることとは大違いです。
「地球市民」として生きる市民性が、教会の内外で養われればと願います。JK