2020/02/26今週の一言

 2/26の聖書のいづみでは、フィリピの信徒への手紙3章21節を学びました。以下にギリシャ語の語順を意識した直訳風私訳を記します。

21 その方は私たちの位の体を変えるだろう、彼の栄光の体と一緒のに、彼がすべての事々を彼に従わせることもできる力に応じて。

 21節冒頭の「その方」は関係代名詞です。原文では20節の最後の単語にあたる「主イエス・キリスト」を受けています。「その方」は、明白にキリストのことを指します。問題は、その後に三回「彼」が登場することです。この「彼」がすべてキリストであると、文法的には少し苦しくなります。

 一回目の「彼の」はキリストです。体を持っているからです。二回目の「彼が」は、もしキリストであるならば無駄な単語です。三回目の「彼に」は、もし二回目の「彼が」がキリストであるならば、文法的には「彼自身に」という単語でなくてはいけません。事実、後代の写本家は「彼自身に」という単語に修正しています。その方が文法的に正しいからです。

 青野太潮は二回目の「彼が」を、「神が」と採ります。そうすれば、二回目の「彼が」は無駄な一言ではなくなります。主語がキリストから神へ切り替わったからです。また、三回目の「彼に」はそのままで文法間違えではありません。二回目の「彼が」と三回目の「彼に」が同じ者ではなく別の者だからです。こうして、神とキリストの二者がこの21節に登場するならば、文法的には間違えではないこととなります。

 キリスト教は唯一神教ではありません。いささか複雑な三位一体論という教理をもつ三一神教です。三つで一つの神は、その内側に他者をもつのです。それは人となった神の子キリストです。私訳のうち下線を引いた単語、または、単語の一部は、2章6-7節にも用いられています。社会の中で不当に低い位置に置かれ、十字架で虐殺されたキリストの姿がここで思い起こされています。神にとって隣にいる対話の相手は、このキリストです。

三位一体論は、市民社会や民主政治体制の模範例として捉え直すことができます。「神の支配」は独裁ではありません。キリストが示した「仕える」ことを基礎にした統治です。また、異なる意見を持つ他者、特に社会で小さくされている人々との合意形成によってなされる自治です。JK