3/11の聖書のいづみでは、フィリピの信徒への手紙4章2-3節を学びました。以下にギリシャ語の語順を意識した直訳風私訳を記します。
2 エウオディアにわたしは呼びかける。そしてシュントケにわたしは呼びかける。主にあって同じことを考えるように。
3 そうだ。わたしはあなたにも依頼する。嫡出のシュジュゴスよ。これらの女性たちを(共に)助けよ――彼女たちは福音にあって私と共に競ったのだが――、クレメントと私の共なる働き人の残りの者とも一緒に(助けよ)。彼ら/彼女たちの名前は命の本の中に(ある)。
フィリピの信徒への手紙を複数の手紙の合成とする仮説に立つと、2節からが別の手紙と推測されます。しかし、一つの手紙であってもそんなに問題はありません。特に、1節と2節がつながっていることの利点があります。1節で様々な形容で呼びかけられた教会員の名前が2-3節で明らかになるからです。パウロは具体的な顔と名前を思い浮かべて1節を記したと考えます。
ここには4人の名前が挙げられています。2節に女性2名、3節に男性2名です。この4人はフィリピ教会の指導者でしょう。女性たちから名前が挙げられています。また、女性たちへの「呼びかけ」や「共に競った」という評価は、二人がパウロと対等の間柄であることを示唆します。それに対して男性たちには、パウロは「これらの女性たちを(共に)助けよ」と上から命じています。このような書き方から、エウオディアとシュントケという女性指導者たちが、シュジュゴスとクレメントといった男性指導者たちよりも、教会の中で有力であったことが伺われます。「もはや男もなく女もなく」(ガラテヤの信徒への手紙3章28節)。
フィリピ教会の創始者はリディアという紫布をあつかう国際貿易商の女性です。だから伝統的に女性たちが活躍しやすい環境だったと思います。模範となる先輩の存在が「見えないカリキュラム」として機能し、若い女性たちを指導者へと押し上げていきます。パウロはルカの要請に応えて、フィリピ教会の設立段階から関与していました(使徒言行録16章)。「嫡出の」という言い方は、パウロ自らがシュジュゴスにバプテスマを執行したことを示しています。4名の指導者たちは、パウロにとって懐かしい顔ぶれなのです。
この箇所には人名も含めて「共に」(syn)という言葉が多用されています。この言葉は会堂(synagogue)にも使われています。教会が共に集まって礼拝をする団体であることの意味が、特にパンデミック宣言下で問われています。JK