2020/03/25今週の一言

とある月刊誌に連載予定の拙稿(未定稿)を載せます。「ヘブル語のすすめ(仮題)」です。今年の6月から始まる一年間の連載は、連載終了後に発行予定の『聖書ヘブル語文法』(仮題)の宣伝文書でもあります。

以下は先週からの続きです。

一体本当のところ聖書に何が書いてあるのか、知りたくなるのは当然の好奇心です。ましてや信徒にとっては神の言葉なのですから。他人の翻訳や解釈に頼らず神の言葉を直解しようとすることはプロテスタントの本領でもあります。「みことばのみ」の精神です。直解し複数の広い意味範囲を把握した上で、「われここに立つ」と自分の翻訳・解釈を提示できたら、なんと意義深く楽しいことでしょう。

たとえば創世記1章2節の後半を、わたしは次のように訳します。 

しかし神の霊はその水の表の上に動き続けている。 

ヘブライ語の接続詞(ヴェ)の意味範囲は非常に広く、「そして」から「しかし」までほぼ何でも入ります。この接続詞は物語が続いていることを表しているので訳出しない場合も多くあります。「神」(エロヒーム)は「神々」をも意味します。文脈しだいで訳し分けるのです。「神々」から転じて「激しい」とも訳されえます。「霊」(ルアッハ)は「風」「息」をも意味します。「動き続ける」(ラファト)には「浮遊する」「震える」の意味もあります。

神の霊が天地創造に積極的に参与していたと考えるならば、私訳のようになります。2節前半の「形なくむなしい」状況を解決しようという霊である神の働きかけです。背景には三位一体の神という教理があります。

しかし逆の解釈の方向もありえます。「そして神々の風がその水の表の上に吹き荒れ続けている」という翻訳です。この場合は「神々」ないしは「激しい」と訳し、そのような天地創造の業に反する勢力が、2節前半の「形なくむなしい」状況に拍車をかけていると理解するのです。

こういった行ったり来たりの翻訳作業を通じてわたしたちは自らの創造信仰や聖霊信仰について思いをいたし、霊性を深めることができます。原語で聖書を読む魅力です。〔第一回連載終了〕 JK