4月29日は昭和天皇裕仁の誕生日でした。5月3日は日本国憲法施行記念日です。「大型連休は東京からどこにも行かないように」と要請される昨今、「国の定める休日とは何か」について少し考えてみたいと思います。
そもそもなぜ今まで同じ時期に移動が強いられていたのかが気になります。ハッピーマンデーと言われる移動休日もそうです。人為的に三連休をつくる制度が人々を遠い場所での宿泊へと方向付けています。「休日と休日に挟まれた平日を休日とする」という定めも、同じ考えに基づいています。昨年、天皇徳仁の即位の日である5月1日が休日となった時に、その年限りの決まりとして定められました。休日制度の設定は、人々を集中的な時期の集中的な消費へと向かわせています。
盆と正月は歴史的に形成された日本社会の休日でした。それに対して、明治国家が制定していった固定休日の多くは国家神道と結びついた天皇制由来のものばかりです。休日の設定は、皇室の祝祭を皇民も祝い祭るという臣民の統合という効果を持っていました。現在はそのような国家宗教的な機能と同時に、消費文明に仕えるという機能を果たしています。大量生産・大量消費は「神」です。
聖書の民にとって休日は中心的関心事です。「安息日」という制度があるからです。ユダヤ教徒は、七日に一度の安息日に家事労働を含む一切の労働を禁じ、移動距離の制限を自ら課しています。その日は礼拝という休暇を満喫するための日です。休日を移動しない日と考えていることが示唆に富みます。
休日は平日と裏表の関係にあります。首都圏に住む被雇用者・労働者の多くは平日毎日のように強制的に満員電車での長距離移動が強いられています。ほとんどの労働者は連続した「有給休暇」を取ることが様々な意味で不可能です。だから人々の心理は固定休日が連続して付与されることに「ありがたみ」を感じるように仕向けられています。国が法律で定める休日は、長時間労働社会のガス抜きなのです。「旅行券を配る」という矛盾した支援策は、この関連でも捉えるべきでしょう。
北欧においては2週間から6週間ほどの有給休暇が当たり前だと聞きます。雇用主も被雇用者も長期の休暇取得という労働環境を大前提にしているのです。そのような社会では、決まった時期に全員が旅行等で移動することが予め避けられています。スウェーデンに比べると日本の労働時間は年間300時間も長いそうです。
仕事のための長距離移動を避け、好きな時に長期休暇を取れ、日々短時間労働をする社会の実現が可能であることを、現在の状況は教えています。そうすれば人々は政治・芸術・宗教に時間と労力を振り向けられるでしょう。JK