日曜日の礼拝説教箇所もだんだん創世記の終わり50章が近づいてきました。以前取り上げた出エジプト記1-24章に物語が接続されつつあります。
ヨセフとその姉妹兄弟の物語(37-50章)は「原因譚」です。原因譚とは、「何かの起源を説明するための物語」のことです。つまり、出エジプト記1章の時点でイスラエルの民がなぜエジプトに住んでいるのかを、創世記37章以下は説明しています。そのように考えると、創世記12章から始まるアブラハム・サラ・ロト・ハガルの物語も出エジプトの原因譚でしょうし、創世記1-11章の「原初の歴史」すらも原因譚と言えます。すべては次の物語の起源としてつながっているからです。
奴隷の民イスラエルが主なる神から贖われて自由な民になるという救いは、新旧約聖書を貫く中心主題です。ヨセフ物語は、創世記と出エジプト記を橋渡ししながら、人間や世界にとって神の救いがなぜ必要なのかを教えています。
創世記と出エジプト記だけではありません。そもそも聖書の冒頭にある「五書」(創世記・出エジプト記・レビ記・民数記・申命記)は、一冊の本として紀元前6世紀に編纂されたものです。当初五つの書名をつけた区分はありませんでした。紀元前3世紀にギリシャ語訳の五書が作成された時に、現行のような書名がギリシャ語で付けられたのです。今でもヘブライ語原典においては、各書の最初の単語を「小見出し的な書名」としています。創世記は「頭初において」、出エジプト記は「諸名前」、レビ記は「そして彼は呼んだ」、民数記は「荒野にて」、申命記は「諸言葉」。このような各書の内容とあまり関係のない便宜的な区切りは、五書が本来一冊の本であったことを裏付けます。各書の区切りに強い意味を込める必要はありません。
実は五書が編纂される前に、士師記・サムエル記・列王記といった歴史書の原型は存在していました。ダビデ王朝の末期に、「申命記的歴史家たち」と学問的に呼ばれる党派が独自の歴史観に基づいて歴史書を編んでいたのです。列王記の最後は、ダビデ王朝の滅亡・敗戦と、ユダヤ人貴族たちの戦勝国への連行(バビロン捕囚)を記します。なぜ「神の国」であるはずのダビデの王国が滅んだのか、その原因譚が必要とされました。それは捕囚からの解放の希望を記す物語でなくてはいけません。
出エジプトという救いを中心に据える、一冊の本である五書は、バビロン捕囚の地で毎週礼拝を捧げるために編纂されました。五書は小見出しごとに毎週朗唱し一年間かけて礼拝で読了されるようになっています。それが会衆にバビロンから約束の地に帰還するという、「奴隷解放という贖いの希望」を与えるのです。神の民が神の言葉を編み、編まれた神の言葉が神の民を導きます。礼拝が生む循環です。JK