東京8.15平和集会基調報告(先週からの続き)
一旦目を日本国内に転じ、後で世界については再び論じます。
コロナは元々あった課題を別の角度から照らしました。東京一極集中です。もともとあまりにも偏りすぎだったのです。コロナ前に飛行機が飛んでいる期間、急速にウイルスは世界中に伝播しました。もともと速すぎだったのです。コロナ後に飛行機があまり飛ばなかった期間、地球規模で大気がきれいになったそうです。もともと汚しすぎだったのです。
コロナ危機はもともとの社会的弱者をさらに苦しめました。家の外で働かなければ生きていけない人々です。感染者の分布は、低収入の人に偏っています。オンライン授業は、コンピューターを自宅に持っている人と持っていない人の線をはっきりさせました。もともと収入と学歴は正比例していました。収入の不平等がもともとの問題です。
人生のレールがただ一つのように思わせていることも、もともとあった問題です。高学歴の男性が高収入を保証するという画一化が、そこに順応できない人々を苦しめていました。全員が引きこもらされた時、私たちは苦しむ人びとに共感できました。その一方で、もともとあった同調圧力による相互監視や、特定の職種や感染者に対する差別も起こりました。ハンセン病患者への差別や、福島からの移住者への差別も、根っこは同じです。
小泉政権以来2000年代から医療福祉予算は切り詰められてきました。もともとPCR検査を行うべき保健所の数や、患者の治療にあたる医療従事者の数は足りませんでした。医療崩壊の原因の一つは新自由主義政策です。その一方で軍事費はどんどん高くなっています。この間、大企業への法人税は軽くなり、消費税は重くなりました。国内の税制の歪みと使い道の拙さも問題です。
家に留められ政治に参与する時間が与えられた人々はツイッター上で政治的デモを起こし、一つの不公正な法律改悪をとどめました。ステイホームの副作用です。わたしたちは風邪気味でも満員電車に揺られて働かざるをえないほどに長時間労働に縛られ、政治に参与する余力が奪われています。ステイホームは時間と労力に余裕を残す生き方を掘り起こしました。
市民運動に携わる人には独特の「選民意識」があって、政治参与しない人や、対立する論争相手を小馬鹿にする時があります。人々はもともと愚かなのではありません。子どもの頃から考える時間を上手に盗まれ、対立する相手との話し合いによる自治に慣れていないだけなのです。
ではどんな国になれば良いのでしょうか。対案である「武力によらない平和な国づくり」を構想しましょう。経済的軍事的小国・道義的大国になることです。自分の国際的立ち位置を定めている北欧諸国はコロナ禍にあってうまく対応していると言われています。
一つの柱は、コロナ禍からのヒントで、散らばること・きれいにすること・ゆっくり自分の歩調で動くことです。
まずは地方自治体が自給自足できる社会です。農林水産業従事者を公務員にしても良いと思います。そうすれば天候によって収入が左右されません。高級官僚らの給与は減らします。ゴミとエネルギーのリサイクルも時給自足のサイクルに混ぜていきます。江戸時代にできていたことがなぜ今できないのでしょうか。都道府県単位の連邦制国家に改組します。基地立地や原発立地自治体の意思を尊重し、米軍も原発もなくします。
(続く) JK