「主」というギリシャ語はキュリオスという言葉。「主人」を意味する普通名詞です。このごく一般的な名詞は、旧約聖書の最古の翻訳であるギリシャ語訳聖書(七十人訳聖書とも呼ばれる)で初めて特別な使い方をされました。ヘブライ語聖書の神の固有名ヤハウェの訳語としてあてられたのです。キュリオスは、普通名詞「主人」でもありながら、文脈次第で固有名詞「ヤハウェ」をも意味するようになりました。
七十人訳聖書を作ったのはギリシャ語を使うユダヤ人たちです。彼ら彼女たちが翻訳した時点では(紀元前3世紀以降)、すでにヤハウェという神の名前の読み方がユダヤ社会の中で完全に忘却させられていたことが推測されます。ヘブライ語でYHWHと綴られている単語を、十戒の第三戒のゆえに読まないという伝統が定着していたからです。第三戒とは「あなたはあなたの神ヤハウェの名前をいたずらに口にしてはいけない」という禁止命令です。神の名前を呼んではいけないとは、かなり厳しい禁令です。特に「ヤハウェの名を呼ぶ」という慣用句が「礼拝する」という意味の表現であるだけに皮肉を感じます(創世記4章26節)。
第三戒を忠実に守るため安息日礼拝ではヤハウェという単語をアドナイと読み替える習慣が生まれます。アドナイはヘブライ語で「私の主人」という意味の普通名詞。ヤハウェをキュリオス(主人)と翻訳した人々は、ヘブライ語アドナイをギリシャ語に翻訳したのです。翻訳者たちが第三戒を守る敬虔なユダヤ教徒であったことと、実際にヤハウェという読み方を知らなかったという二つの事情によって、この翻訳伝統は生まれました。現在の新共同訳聖書も最古の翻訳キュリオスとユダヤ教徒たちのこだわりに敬意を表しつつ、ヤハウェを「主」と訳しています。
紀元前3世紀のユダヤ人翻訳者たちが思いもよらない効果が、キュリオスという訳語をめぐって発生します。三位一体というキリスト教教理の発展です。
アラム語使用の礼拝における口頭での唱和で、「イエスこそ主(普通名詞)」という素朴な信仰告白は、旧約聖書の示すメシア(キリスト)とイエスを一致させるものでした。メシアはヤハウェから遣わされる救助者です。ところが、キリスト教がギリシャ語を用いる人々によって布教され、ギリシャ語を用いる教会の方が数的に多くなると事情は変わります。イエスがギリシャ語のキュリオスであるということは、「イエスがヤハウェである」という意味に、より直截的に考えられえます。特にギリシャ語圏キリスト教会が七十人訳聖書を用いる場合には。
こうしてイエス=ヤハウェ、さらにイエスの霊=ヤハウェの霊=聖霊という具合に三位一体論が発展していきます。ギリシャ語訳旧約聖書の「貢献」です。JK