意外な聖句に出くわしました。
「その日には、エジプトからアッシリアまで道が敷かれる。アッシリア人はエジプトに行き、エジプト人はアッシリアに行き、エジプト人とアッシリア人は共に礼拝する。その日には、イスラエルは、エジプトとアッシリアと共に、世界を祝福する第三のものとなるであろう」(イザヤ書19章23-24節)。
紀元前八世紀の古代オリエント世界です。エジプトとアッシリアはお互いに覇を競い合っていました。イスラエル(南ユダ王国)は、両大国の間に位置して「果たしてどちらの傘の下に入れば安全か」と悩んでいました。もはや首都エルサレムしか残されていない、領土を持たない都市国家です。
預言者イザヤはかつてアハズ王に「アッシリアを恐れるな」と言いました(10章24節)。イザヤの透徹した目は神の導く歴史を見渡しています。必ず「アッシリアは倒れる」のです(31章8節)。アハズ王の軍事同盟政策に反対しために、アハズ王の治世においてイザヤは疎んじられました。
前715年アハズ王が死ぬとその息子ヒゼキヤが王位に就きます。アハズ王の息子ヒゼキヤ王はイザヤを師と仰いでいます。そのヒゼキヤ王に今やイザヤは、「エジプトにも頼るな」と言います(31章1節)。エジプト人は人であって神ではないからです(同3節)。エジプトとの軍事同盟政策も頼りになりません。イザヤにとっては神のみに信頼することが重要です。
神が弱小国イスラエルに期待していることは、「主が王である国」となることです(33章22節)。国力は貧しくても、「正義」「公正」「信実」「平和」が満ちた「神の支配」を実現する祭司の国です。
経済的・軍事的小国でありながら道義的大国となる時に、超大国との橋渡しができるようになります。どちらかの傘に入るかが真の問題設定ではありません。自らが傘の軸になりどちらも入れる大きな傘を創ることが祭司の国の務めです。それが「世界を祝福する第三のもの」として生きるということでしょう。
翻って私たちの国の立ち位置です。昔は「米ソ冷戦構造」、今は「米中摩擦」の板挟みです。アメリカの核の傘に入り、日米安全保障条約という二国間軍事同盟に私たちは頼っています。いわゆる追従外交です。イザヤならどう考えるのでしょうか。透徹した目は両大国もいつか滅びることを喝破し、日本が両大国どちらも通ることができる「大路」となるようにと勧めることでしょう。 JK