イザヤ書2章4節は、国際連合の本部ビルに掲げられている有名な聖句です。「彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする」。ところで、この聖句がミカ書4章3節にも掲載されていることはあまり知られていません。両者は一言一句変わりありません。さらに、ヨエル書4章10節には正反対の言葉があることも、ほとんど顧みられたことはありません。「お前たちの鋤を剣に、鎌を槍に打ち直せ」。「剣」と「鋤」の組み合わせ、「槍」と「鎌」の組み合わせ、「打ち直す」という動詞の一致から、この三者には関係があることは明らかです。
イザヤとミカの一致から考えます。両者の言葉遣いがあまり一致していない場合は両者共に参考にした「共通の伝承」を想定しますが、ここまで一言一句が一致している場合、どちらかがどちらかを書き写したと推定できます。多数意見はイザヤをミカが写したという想定です。しかし、こういう場合有名ではない人の言葉を有名な人が「奪い取る」こともありえます。ミカが元来の筆者と推測します。
ではヨエルとの関係はどうなのでしょうか。ヨエルはミカないしはイザヤの言葉を読んで、あえて逆さまにしたのでしょうか。それとも、逆にヨエルの言葉を読んだミカが逆さまにしたのでしょうか。ヨエルをミカが読み替えたと考えます。
ヨエルの言葉は、イスラエルが常備軍を持っていなかった士師時代の古い「募兵の呼びかけ」に遡りえます。普段は農民であったイスラエルの民は、侵略にあって初めて有志を募兵します。その時人々は、自分の鋤を剣に鎌を槍に鋳直して、武器をこしらえたのでした。ヨエルが用いた伝承は非常に古いものです。
ミカはこの古いスローガンを粉々に壊し、自分の時代に合わせて鋳直しました。紀元前701年、アッシリア帝国の大軍勢がエルサレムを包囲した時のことです。アッシリアの年代記は、その時の様子を「ユダの王ヒゼキヤは鳥かごの中の鳥のよう」と誇らしげに記しています。ミカはエルサレムを取り囲むアッシリアの大軍を見ながら、世界の終わりに全世界の民がシオン山で主を礼拝する光景を見ます。そして戦争の愚かしさを批判して、武器の放棄を歌い上げるのです。「常備軍があっても大帝国の前では何の役にも立たないではないか。ダビデ王以来の戦うことを学ぶ国づくりを止めよう。いったん滅ぼされてから、我々も心を粉々に砕いて鋳直そう。悔い改めよう」。
ミカの言葉はミカの弟子たちに保存されます。その人々はイザヤの弟子たちと関係を持っています。イザヤの弟子たちは自分たちの師匠イザヤの預言集の中に入れ込みます。こうして聖書は雪だるま式に増えていきます。 JK