2011年3月11日(金)午後2時46分、東北地方太平洋沖に大きな地震が起こり、その後の津波が東北地方の沿岸部を中心に甚大な被害をもたらしました。津波は東京電力福島第一原子力発電所の全電源を喪失させ、そのために四つの原子炉に致命的な損傷を与え、大量の放射性物質が大気圏に吐き出されました。海外メディアなどでTriple Disaster(地震・津波・原発事故)と呼ばれた一連の災害は、後に「東日本大震災」と名づけられました。
新型コロナウイルス感染症についてもそうですが、東日本大震災の影響を受けなかった人は存在しないのではないかと思料します。大げさな表現ではなく、すべての人が「あの出来事は自分にとって何であるのか」を考えながら生きているのではないでしょうか。個人的には、日本でキリスト者として生きている自分自身のあり方が強く揺さぶられました。
地震のあった時刻は日本キリスト教協議会(NCC)の常議員会に出席していました。神楽坂にある聖公会の教会が会場。そこから帰宅困難者となり5-6時間かけて板橋区にある自宅まで徒歩で辿り着きました。電気が止まるということが東京を完全に麻痺させるということを身に沁みて教えられました。
「原発は大丈夫だろうか」との妻の問いにはっとさせられ、連盟公害問題特別委員長の野中宏樹牧師(鳥栖教会)に翌朝電話をし、深刻な原発事故が起こる可能性について尋ねました。自分自身NCC平和・核問題委員だった時に国策である「原子力(核)の平和的利用」の問題性を学んでいたので、この件については政府発表だけではなく自分が信頼を置いている人に聞くことや、さらには自分の頭で考えることが重要だと考えたのです。そして野中牧師は即座に既に炉心溶融が起こっていると確言しました。
様々な情報を受け取りながら「今原子炉で起こっているであろう出来事」を推測している最中に爆発事故が起こりました(3/12)。「確実に炉心溶融は起こっている。大量の放射性物質が大気圏に放出され続けている。関東地方と言えども外に出るべきではない。風下ではない方角に避難すべきだ」。小学校卒業を控えていた息子のクラスで、毎月の「絵本読み」奉仕が3/14にもあったので、六年生の子どもたちに上記の意見を伝えました。
神への悔い改めが心に重くのしかかっていました。子どもたちに大きな負の遺産を負わせてしまったことが悔い改めの内容です。たかが発電用の水を沸かすだけのために核という制御不能な「力」を使うべきではなかったのです。 JK