2021/03/31今週の一言

1947年4月3日は日本バプテスト連盟の結成記念日です。74年前、福岡市にある西南学院教会に16の教会が集まり結成総会が開かれたのでした。1946年秋に再来日したEBドージャー宣教師(米国南部バプテスト連盟)の強い働きかけによるものでした。彼の父はCKドージャー、西南学院の創設者です。結成総会に東京から参加した教会は目白が丘教会と東京第一教会の二つでした。そして福岡に連盟事務所は置かれました。神学校所在地も含め、連盟は福岡中心の組織でした。

連盟結成の立役者EBドージャー宣教師が福岡から連盟事務所と共に東京・下馬(東急バス下馬営業所の近く)に引っ越してきたのは、1948年9月のことでした。1949年3月に始まったドージャー宅の「聖書研究会」が発展し、同年8月に恵泉バプテスト教会が生まれました。次いで9月に「幼児クラス」も同じ場所に開設されました。ドージャー宅の庭を園庭にした、この幼児クラスこそいづみ幼稚園の前身です。1951年「恵泉バプテスト教会附属いづみ幼稚園」として東京都から認証を受けています。

1953年に恵泉教会は現在地である中目黒に移転しました。しかしいづみ幼稚園は移転せずに下馬に留まりました。恵泉教会は中目黒で新たにめぐみ幼稚園を新設し、二つの幼稚園の母体となりました。「めぐみ」と「いづみ」を抱えるがゆえに「恵泉」教会というわけです。その後にEBドージャーの母親であるMBドージャーの主宰する「家庭会」が発展して、「恵泉バプテスト教会下馬伝道所」が設立されました。この下馬伝道所が1959年に教会組織を果たし泉バプテスト教会となったのです。1983年に宗教法人格を取得した泉教会は、名実ともにいづみ幼稚園の経営母体となり、今に至っています。

1958年にドージャー宣教師一家は福岡に転居しました。連盟事務所も下馬から新宿区大久保へ(現在はさいたま市南浦和)、そして泉教会も1962年に現在地に移転しました。かつてドージャー宅があった場所には現在マンションが建っており、往年の名残は何もありません。万物は自在に流転します。

すべてはドージャー宅から始まったという事実、連盟と泉教会の誕生の経緯が絡み合っているという事実を、今日どのように解釈するかが問われています。特に泉教会は連盟内で礼典理解等において独自の挑戦をしてきました。教会が倒れそうな時にも支え続けてくださった復活の神に全幅の信頼をおいて、大胆に歩みたいと願っています。それは「危機」からの脱出を期する連盟に対する泉教会なりの貢献にもなっていくことでしょう。自由な発想の湧く泉になりたいと思います。JK