2020/06/02今週の一言

「エチオピア人宦官の物語」(使徒言行録8章)は常に一人の恩師を思い出させます。コトレル・リック・カーソンという新約聖書学者です。米国マーサ大学マカフィー神学校では当時唯一のアフリカ系アメリカ人の教授でした。「ラビスタ通り」という同じ道沿いに暮らしていたのでよく我が家にも遊びに来て、「白人の教授会」についての愚痴などを面白おかしく話してくれました。

彼の博士論文が「エチオピア人宦官」で、入学して早々何百ページもあるコピーを渡され、辞書を引き引き毎晩読まされる羽目になりました。論文にある一つの鋭い指摘は今でも心に残っています。それは使徒言行録8章37節の問題、すなわち、新共同訳聖書で巻末に飛ばされ本文として採用されなかった部分の問題です。この部分は新共同訳の底本となっているバチカン写本(紀元後4世紀)にも他の有力な大文字写本(シナイ写本・アレクサンドリア写本)にもありません。

フィリポが、「真心から信じておられるなら、差し支えありません」と言うと、宦官は、「イエス・キリストは神の子であると信じます」と答えた。

一体この部分は当初からあった著者ルカの筆による部分なのか、それとも後代の加筆なのか、加筆をしたのは誰なのかが問題です。当初からあったのならば誰が何のために削除したのかも同時に問題となります。

カーソン教授の学説は上記部分を元来の本文ととるというものです。削除したのは紀元後4世紀に確立した「正統」キリスト教界(古代カトリック教会)。削除した意図は、黒人アフリカ系の非ユダヤ人キリスト者の格下げと、白人ヨーロッパ系の非ユダヤ人キリスト者の格上げです。イエスがキリスト(救い主)または神の子であるという信仰告白(キリスト告白)を明確に行っている人物は、新約聖書の中で限られています。シモン・ペトロ(マルコ8章29節)、ベタニアのマルタ(ヨハネ11章27節)だけ、しかも二人ともユダヤ人です。ローマを本拠とする古代カトリック教会は、同じ改宗者でも10章に登場するローマ軍の百人隊長コルネリウスに肩入れをしたい、そのためにエチオピア人宦官の「功績」を減じさせたと、カーソン教授は推測します。ちなみに37節を教父エイレナエオス(後2世紀)と教父キプリアヌス(後3世紀)は自著で聖句として引用しています。後者はアフリカの人です。JK