私が日本バプテスト連盟の教派神学校である西南学院大学神学部に入学したのは1988年4月のことです。東京から福岡まで寝台列車に乗って16時間、ボストンバッグ一つを持って第一神学寮(独身寮)に入寮したのでした。神学部だけが別キャンパスの全寮制でした(干隈分校)。普通の大学ならば18歳の大学一年生は当たり前ですが、神学生はほとんどが大卒後か就職後に献身した人ばかり(3年次からの学士転入学)。当時40人以上が在籍していた神学生の平均年齢は31歳ぐらいだったでしょうか、入学して3年間はずっと最年少神学生でした。
私にとって有難いことに父は西南神学部卒ではなく、連盟にも疎遠な牧師だったので福岡に知り合いはほとんどいません。教授や牧師から「ショウジマ教会出身のシロクラ君」と呼ばれる度に「アキシマのジョウクラです」と答えることに、ある種の快感を覚えていました。
昭和天皇の危篤状態が続き「Xデー(天皇逝去の日)」がいつなのかが取りざたされていた頃のことです。毎月一度の神学部学生会は左右対立の議論沸騰、右派は信仰と政治は関係がないことを前提に学院の方針に従うべきとの主張。それに対して左派は信仰と政治は大いに関係することを前提にXデーがあっても神学部教授会が普段通り講義を行うべきと主張していました。ちなみに当時の学生会長は20代後半の加藤誠さん、現在の連盟理事長です。ノンポリだった私は右往左往しながら、天皇制と神学との関係について稚拙ながらも考え始めることとなりました。
一年生の時に講義は一般教養しか取ることができませんでしたが、学生会や教会は容赦しません。上記のような実践神学の課題や、また礼拝説教の奉仕(聖書語学や説教学を履修していないのに!)もふりかかってきます。読んでも分からない注解書を先輩に借りて、冷や汗をかきながら説教準備をしていたものです。奉仕教会からの奨学金には本当に助けられていたので何の不満を言うものでもありませんが。
独身神学生への生活費支援奨学金は毎月26,000円でした。そこから寮費と月曜日から土曜日までの食費(朝夕)を差し引くと、3,000円ほどが手元に残ったことをよく覚えています。一般教養科目履修のため本学(西新キャンパス)の食堂に行けば「素うどん100円」にネギをたっぷり入れて食べたものです。アルバイト先の八田内科の院長が栗原雅人さんとご親戚だったとはつゆ知らず。JK