2021/07/14今週の一言

 サウロがキリスト信徒となった舞台であるダマスコという町について少し調べてみました。ダマスコは現在のシリアの首都ダマスと同じ場所です。

 ダマスコの歴史は非常に古く、古代から交通の要衝・商業都市として栄えていたことが知られています。旧約聖書ではアブラハム・サラ・ロト物語で言及されています(創世記14章15節、15章2節)。シリアのハランから約束の地へ出立した豪商アブラハム・サラ・ロトにとってダマスコは自分たちの活動領域の一つです。

 前10世紀ダビデ王の時代、ダマスコはイスラエルに臣従したようですが(サムエル記8章5節以下)、ソロモン王治世の末期には独立した王国を建てたようです(列王記上11章23節以下)。それ以来、シリア/アラム王国はイスラエル(特に北イスラエル王国)にとって北隣の競合者となります。ダマスコはその首都です。

 超大国たちは代わる代わるダマスコを支配しました。前8世紀北イスラエルを滅ぼしたアッシリア帝国はアラムも呑み込みました(列王記下16章9節以下)。その後新バビロニア帝国、ペルシャ帝国、そして前4世紀アレクサンドロス大王の帝国が支配しました(ゼカリヤ書9章1節以下)が、ダマスコの経済的重要性は変わらないままでした。

 アレクサンドロスの後継セレウコス朝シリアにおいてもダマスコは首都です。前88年デメトリオス3世というシリア王とファリサイ派との間で、ユダヤ人のダマスコへの移民合法化協定が結ばれていた可能性があります。直後の前85-69年にダマスコはアラビア砂漠の北西端ナバテア王国に支配されます。さらに前66年にはローマ共和国に占領されローマの属州シリアの一部となります。この間、ファリサイ派だけでなく、エッセネ派のユダヤ人たちがダマスコに増えていき(「ダマスコ文書」の発掘から推測)、後1世紀には15,000人ほどが定住していたとされます。

 後33年サウロがキリスト信徒になった頃はナバテア人の王がダマスコに代官を置いていたようです(コリントの信徒への手紙二11章32節)。その後、後62年にローマは再びダマスコを直轄領とします。

 シリアのダマスコとユダヤのエルサレムが歴史に翻弄されている様は、よく似ています。相違ではなく共通点に目を向けることが大切です。現代の「シリア難民」「パレスチナ問題」などについても示唆に富むのではないでしょうか。JK