サムエル記と列王記は一つながりの本です。最古の翻訳であるギリシャ語訳聖書(七十人訳ともいう。略記LXX)においては、「サムエル記上下・列王記上下」が「列王記1234」とされていることからも、古来両者の一体性が意識されていたことが分かります。
たとえば、ダビデが全イスラエルの王となったのはサムエル記下5章です。ダビデ王朝に焦点を合わせるのならば、ここから列王記になっても良いでしょう。また、ダビデ王が死ぬのは列王記上2章です。ダビデ個人の人生に焦点を合わせるのならば、ソロモン王の即位から「列王記」を始めても良さそうなものです。サムエル記と列王記の区切りをあまり重視する必要はありません。
内容的にもサムエル記は一つの書としてのまとまりを欠きます。書名は最後の士師とも呼ばれる祭司・預言者サムエルに由来します。冒頭はサムエルの誕生ですからサムエル記は彼の伝記であることが期待されます。ところがサムエルはサムエル記上25章という中途半端なところで死んでしまいます。サムエル記の後半にはサムエルはいません。結局のところサムエル記という書名の由来は、サムエル記中の真の主人公である二人の王(サウルとダビデというライバル)に油を注いだのが同じサムエルだったということなのでしょう。
サムエル記上の最後にサウル王は戦死します(31章)。直後にダビデがヘブロンを首都に「ユダの王」となります(サムエル記下2章)。そこから7年6ヶ月の間、南北両王朝の「内戦」が続きます。結果南のダビデ王朝がサウル王朝に勝ちました。歴史とは勝者の書く歴史です。現在残っているサムエル記と列王記は、サウルとサウル王朝を否定的に描いています。この点に注意が必要です。
ダビデかサウルかという問いよりももっと根本的・急進的な問い立てがあります。そもそもイスラエルに王制がなじむのかという問いです。士師サムエルは「世襲の王朝や中央集権の徴税制、常備軍はイスラエルになじまない。ヤハウェのみが王であるべき。王制導入に反対」という立場でした(サムエル記上8章)。
今日的には国家かそれ以外の自治単位か、中央集権(上下の強い組織)か地方主権(水平な組織)か、また軍隊に代表される力による支配か非暴力の合意形成か、といった問い立てでしょうか。サムエル、侮れません。JK