預言者エゼキエルは、エレミヤよりも若い人物です。エレミヤが王権を批判していた時、エゼキエルは祭司として「王の家(王宮)」と「ヤハウェの家(神殿)」に仕えていました。エレミヤは「神殿に頼るべきではない。このままではダビデ王朝は新バビロニア帝国に滅ぼされる」と、権力者たちを批判しました。エゼキエルは苦々しく聞いていたことでしょう。
紀元前598年、第一次バビロン捕囚が起こります。城壁や神殿、都市の機能はかろうじて残されましたが、新バビロニア帝国は南ユダ王国の王族・貴族たちをバビロンに連れて行き、傀儡政権を立てます。その連れて行かれた祭司の一人にエゼキエルがいました。エルサレムからバビロンまで失意を持ちながら歩きながら、祭司エゼキエルは預言者エレミヤの言葉を噛みしめていたと思います。
紀元前593年、バビロンの地でエゼキエルは預言者としての召命を受けます(1章)。イザヤ書、エレミヤ書、エゼキエル書は「三大預言書」と呼ばれます。いずれも大部であるということ、内容が豊富であるということによる命名です。そして、三大預言書は必ず預言者の召命記事を含んでいます(イザヤ6章、エレミヤ1章、エゼキエル1章)。「神を見た」という点でエゼキエルの召命記事はイザヤに似ていますが、預言の内容という点ではエゼキエル書はエレミヤ書に似ています。神殿貴族という点でイザヤと同じ身分であったことと、エゼキエルがエレミヤを「真実の預言者」として尊敬していたことが、それぞれの理由でしょう。
紀元前587年、第二次バビロン捕囚が起こり、神殿を含めてエルサレムが壊滅的に破壊しつくされました。エゼキエルは攻城戦の開始をバビロンで伝え聞きます(24章)。この破局の一部始終をエレミヤは、エルサレムで体験します(エレミヤ書39章)。そしてエレミヤはエジプトへ亡命します(同43章)。別の場所で成立した両預言書は、今や一つの聖書に収められています。不思議な導きです。JK