ダニエル書7章以下は「黙示」という文学分野に分類されます。黙示は「預言」から派生したので預言の一種とも考えられますが、一応両者は区別されます。有為な違いが両者に認められるからです。
預言は基本的に現実世界の課題に対する「改善」要求です。神の民が神に立ち帰るならば課題は現実世界の中で解決します(アモス5章14節)。それに対して黙示は希望を現実世界の外に置きます。「神の支配」の到来によって現実世界が終焉させられ、それにより現実世界の課題が革命的に改められる(「改革」)というのです(ダニエル12章)。
預言は聴覚的な言語によって吟味された語呂合わせを多く用います(アモス書8章1-2節)。それに対して黙示は視覚的な幻を基本とします(ダニエル書10章1節)。そして意味を含ませた数や(「七十週」同9章24節)、婉曲な表現(「憎むべき荒廃をもたらすもの」同11章31節)で為政者を暗に陰に批判します。
これらの特徴には、黙示が預言よりも後に著されたという事情が関係します。預言の多くはイスラエル国家の改善や復興への期待が現実的であった時代のものです。黙示は世界帝国(ペルシャ帝国やヘレニズム諸国家)の軍事支配によってイスラエル国家復興の期待がしぼんでいくにつれて発展していきます。
ユダヤ教の配列に従うとダニエル書は旧約聖書の後ろから三番目に位置します。この事実は、ダニエル書の著作年代が紀元前2世紀ごろであることを示しています。ユダヤ人の信仰に対して無理解なセレウコス朝シリア王国による厳しい統治によって苦しむ民を励ますために、ダニエル書は書かれました。謎に満ちた語り口は迫害を避けるための文学手法なのです。
ヨハネの黙示録はダニエル書の後輩です。黙示は旧約と新約を繋げています。
JK