2022/08/31今週の一言

使徒言行録16章は、フィリピという町にキリスト教会が立ちあがる様子を描いています。使徒言行録の著者ルカ、紫布商人リディアは、その立役者です。

後にパウロはローマで軟禁生活を過ごしている間に、「フィリピの信徒への手紙」を著しています。そこにはフィリピ教会がパウロと最初から最後まで良い関係を保っていたことが証言されています。コリントやガラテヤなどの教会と決定的に異なる点です。

以上の事情を踏まえて学者たちはフィリピ書にリディアが言及されていないことを咎めます。そしてあろうことか、「リディアは架空の人物、使徒言行録著者の創作である」とまで推測する人もいます。これはあまりにも「パウロ書簡」偏重、「ルカ文書」軽視の態度です。わたしたちはパウロの手紙と使徒言行録の記述を補完的にとらえて、原始キリスト教史を再構成する必要があります。

「ユウオデヤとスントケというギリシア名は(ピリピ四・二-三)、彼女たちがピリピの外国人居住者である商人集団の一員であったことをほのめかしているのかもしれない。」(WAミークス『古代都市のキリスト教』155頁)という指摘は、課題を解決するヒントとなりえます。

解放奴隷は出身地で呼ばれることもあったそうです。リディアという名前は、ティアティラ市という小アジア半島リディア地方から来た人という意味の通称だったのかもしれません。つまり、フィリピ書4章2節の「エボディア」または「シンティケ」(新共同訳)という女性商人のどちらかが、使徒言行録16章の「紫布商人リディア」であった可能性があります。フィリピ書の文脈上、この二人は教会の指導者であることが明らかです。

なおフィリピ書にルカが言及されていない理由は、執筆時にローマでルカがパウロの健康上の世話をしていたからだと思います。JK