【ルツ記2章】
5 そしてボアズはその刈る者たちの上に立ち続けている彼の若者(男性)に言いました。「この若者(女性)は誰に属しているのですか。」
6 そしてその刈る者たちの上に立ち続けている若者(男性)は答えました。そして彼は言いました。「彼女は、ナオミと共にモアブの野より戻ってきているモアブ人の若者(女性)。
7 そして彼女は言いました。『どうかわたしに拾わせてください。そして束の中(からのものを)集めさせてください。その刈る者たちの後ろで。』そして彼女は来ました。そして彼女はその朝からまた今まで立ち尽くしました。これが少しばかりの家の彼女の座り。」
畑の所有者ボアズは見知らぬ若い女性労働者に気づきます。そして収穫をする労働者たちを監督している若い男性労働者に尋ねます。「彼女は誰に帰属している人物なのか」という質問は、女性が誰かの所有物としてしか生きられない社会の言い方です。父のものから夫のものへ、夫のものから息子のものへ。家父長制はボアズに染み込んでいます。
ここで労働監督者が「若者」(ナアル)と呼ばれ、落穂を拾うルツが同じ語源の「若者」(ナアラー)と呼ばれていることは印象的です。この言葉使いの中に、男女間で労働機会も賃金も平等ではないことに対する神の「否」、すなわち人間の平等こそが聖書の神の意思であるということが垣間見えます。
労働監督者は自分が採用した外国人労働者が勤勉である様子を経営者ボアズに説明します。レビ記23章22節の法律に基づいて、監督者は貧しい寄留者(モアブ人)のために「余りもの」を拾って自己所有とすることの許可をしました。余りにも脆弱な富の再配分システムですが、無いよりはましです。JK