【ルツ記2章】
19 そして彼女に彼女の義母は言いました。「どこで今日貴女は拾いましたか。そしてどこで貴女はなしましたか。貴女を認めている者(が)祝福されている者(に)なりますように。」そして彼女は彼女の義母に彼女が彼と共になしたことを告げました。そして彼女は言いました。「今日私が共になした男性の名前はボアズ。」
20 そしてナオミは彼女の義理の娘に言いました。「彼はヤハウェのために祝福され続けています。その彼〔ヤハウェ〕の信実は生者たちを、また死者たちを棄てなかったのですが。」そしてナオミは彼女に言いました。その男性は私たちに近い。彼は私たちを贖う者たちの中の(一人)です。」
一日の労働分にしてはあまりにも多い大麦を目の前にしてナオミは当然尋ねます。「一体誰の畑で麦の穂を拾い、これほど多くの収穫をなしたのか。」「なした」はアーサーという動詞。「つくる」「する」という広い意味です。たとえば創世記2章4節後半「天と地を造られた時」も同じアーサーです。ルツは、収穫をボアズと共になしたと言います(19節)。農業は共同の創造作業です。
ナオミが形容するボアズは「祝福されている者」(19節)、「祝福され続けてい」る人です(20節)。訳し分けざるをえませんが、この二つは原文ではまったく同じ表現です(受動分詞)。ボアズは「贖う者」(ゴエル)です。贖う者は、債務奴隷に身をやつした親戚を、自由民へと買い戻す義務を負った人です。イエス・キリストの贖いという救いの背景にある法規範です。
「信実」(ヘセド)は、「確固たる愛」が原意です。継続的な誠実さを示しています。「生者」「死者」は、「生き続けている人」「死に続けている人」とも訳せます(能動分詞)。さきほどの祝福もそうですが、物語の底に「継続性」という縦糸があります。JK