【ルツ記3章】
3 そして貴女は洗うのです。そして貴女は注ぐのです。そして貴女は貴女の外套を貴女の上に置くのです。そしてその打穀場に私は降るのです。貴女はその男性に知られてはなりません。彼が食べることと飲むこととを終えるまで。
4 そして彼が寝ている時に、貴女は彼が寝る場所を知るということが起こるように。そして貴女は来るのです。そして貴女は彼の足を露わにするのです。そして私は寝るのです。そして彼は貴女のために、貴女がなしうることを告げます。
「~のです」と訳した個所はすべて「完了」という視座で描かれた動詞です。ヘブル語には現在・過去・未来といった時制の概念が希薄です。完了は過去の動作という意味ではありません。話者の主観的な断言を表現する言い方です。その代表例は「預言の完了」というものです。預言者にとって未来に起こるかもしれない出来事は、しばしば完了視座で確実に起こる出来事として確言されます。
ナオミはルツに対して、預言の完了をもって強く断言していきます。そのため多くの翻訳はこの一連の発言を「命令」と解釈しています。「あなたは洗え」(3節)といった具合にです。ところが、この箇所にはその立場を貫く際に困難な部分があります。「私は降るのです」(3節)、「私は寝るのです」(4節)の二つの文は、主語が一人称「私は」です。二人称「貴女は」が主語ではないので、ナオミからルツへの命令となりえません。この主語の転換は文脈上不自然なので、多くの翻訳は本文を読み替えて「貴女は」と操作した上で全てを命令のように訳出しています。
ナオミが主観的にルツと自分を同一視して話していると解してはどうでしょうか。ルツに起こってほしい出来事を一気呵成にまくし立てていくうちに、その場面に自分自身が登場してしまうという混同です。小さな子どもが保護者を自分の一部分と勘違いするような誤解が、興奮するナオミに起こっています。JK