2023/04/05今週の一言

イエス・キリストの復活記事について、新約聖書各文書の記載内容は揺れています。複数の言及があり大筋では一致していますが、詳細に比較するとそれぞれ微妙に異なっています。なぜなら新約聖書は複数の著者や編集者による文書群の合本だからです。たとえば誰が復活の主を見たのかについて異同があります。

紀元後30年/31年に起こった復活についての最古のまとまった言及はパウロの手紙です。紀元後50年代に書かれたコリントの信徒への手紙一15章3節以降に、「キリストが聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、ケファ(ペトロ)に現れ、その後十二人に現れたことである」と書いてあります。パウロや彼が関わった教会群では、20年以上このように言い伝えられていたのでしょう。

それに対してマルコによる福音書は、そもそも誰もイエスの復活を目撃していないとしています(元来は16章8節で終わっていたとするならば)。なお16章9節以下は、マグダラのマリア、二人の弟子、十一人の弟子の順で目撃されています。

マタイ福音書は「マグダラのマリアともう一人のマリア」、次いで「十一人の弟子」が目撃者です。ルカ福音書は「マグダラのマリア、ヨハナ、ヤコブの母マリア…他の弟子たち」、次いで「クレオパ」ともう一人の弟子、そして「十一人と他の弟子たち」です。なおルカ福音書は十一人と他の弟子たちが「本当に主は復活して、シモン(ペトロ)に現れたと言っていた」ということも報じています。ヨハネ福音書は「マグダラのマリア」、次いで「弟子たち」、さらに「トマスを含む弟子たち」とします(元来は20章で終わっていたとするならば)。なお、21章は「ペトロ、トマス、ナタナエル、ヤコブ、ヨハネ、その他二人の弟子」が目撃者となっています。

史実としてはマグダラのマリアが復活の主イエスの第一発見者なのでしょう。ペトロが発見者であるという伝承は、後に発達したことが比較から伺えます。なおパウロが、「最後に私にも復活の主イエスは見られた」と信仰を言い表していることが重要です。物理的に見ることよりも見ずに信じることが大切だからです。JK