2023/08/09今週の一言

「罪の贖い」という宗教的救済は、バプテストの強調点に照らして「個の自由」と言い換えられるのではないでしょうか。イエスをキリスト(救い主)として受け入れ信じると自分に自由が与えられ、社会も自由にされていきます。これが救いです。

17世紀英国で発祥したバプテストの群れは当初から、個人の思想信条の自由(自覚的信仰告白)・各個教会間の自由(各教会の自治と会衆主義、教職制度への反対と平等原則)・各人・各個教会のもつ国家からの自由(政教分離原則、国教制度への反対)を主張していました。憲法学上「自由」という言葉は「権利」と同義語です。実際バプテストの主張は、日本国憲法13・14・19・20・89条等の人権規定や統治機構規定に具現しています。個人の幸福追求のために国家は存在します。

バプテストも貢献した「個の自由」という「人権思想」によって、20世紀以降聖書に示される救済は捉え直されました。「聖書をもっと丁寧に読もう。狭く個人の内面の世界だけに救いを閉じ込めないようにしよう。教会の中だけで通用する神話にしないようにしよう」という実践です。贖いは元々の意味からして「奴隷を自由民に買い戻すこと」なのでした。それが出エジプトの救いです。すべての人間は生まれながらに神の似姿なのです。この状態に尊重されることが天地創造の救いです。

ナザレのイエスは、誰にもまねできない自由な振る舞いで、出エジプトの救いと天地創造の救いを地上にもたらしました。十字架で殺されたイエスの霊は吹きすさぶ風として、被造物に不自由を押し付ける社会構造(罪)を、今も激しく揺さぶり続けています。信仰は風/息/霊である神を自らの内に受け入れることです。すると聖霊がわたしたちの持つ不自由さを一掃します。主の霊は、「比較しない・威張らない・卑下しない」という、贖われた自由人を創り、一人一人は存在(小さくても自由な生き方)を通して社会に働きかけ伝道します。復活のイエスの霊は信徒のうちに永遠に生き、その結果イエスをキリストと信じる者は永遠の生命を生きます。JK