今回はエバ、アダムの妻です。名前の語源は「生きる」か「礼拝する」かどちらもありえます。
エバもアダムと同様に創世記2章から4章まで登場します。アダムはヤハウェに「あなたはどこか」(創世記3章9節)と問われます。エバの場合は「あなたがしたことは何か」(同13節)。どちらも根源的な問いです。エバの行為は神への挑戦なのだと思います。良い意味でも悪い意味でも、それが彼女の生き方です。
たとえば神のように善と悪とを知ることです(同6節)。自由な生き方です。また「善と悪」は「幸福と不幸」とも訳しえます。自分で自分の人生を評価する意思をエバは獲得したのです。
もう一つの挑戦は、神のように新しい命を生み出すことです(4章1節)。エバは主体的にカインとアベルとセトという三人の息子を名づけます。特にカインとセトの名づけに、エバの思想が表れています。カインの名づけ時の言葉、「私は、ヤハウェを/と共に、男性/夫(を/で)獲得した」(同1節)は意味深です。翻訳に幅がありえます。最も挑戦的な翻訳は、「私はヤハウェを夫によって獲得した」であり、自らが創造主に勝っています。おとなしめの「ヤハウェと共に男性を獲得した」でさえも、男性よりも勝るという主張にも読めます。
セトの名づけ時の言葉、「神が私のために他の子孫を置いた」(同25節)の中の「私のために」がエバらしい言葉です。家父長制に反対し、子孫は自分のための存在であると明言しているからです。
エバはカインのアベル殺しを「悪」と断じたでしょう。しかし自分自身を「不幸」とはみなさなかったかもしれません。葛藤の中で、エバは「私は」から「神は」へと主語を転換します。礼拝者として生きるということは、このように生ける神に絶えず挑戦しながら主語を変えていく生き方なのだと思います。JK