今回は十二弟子のひとりゼベダイの子ヤコブ。当時のユダヤ人には苗字がないので、数多く存在する同名のヤコブたちと判別するために、父親の名前を冠してゼベダイの子ヤコブと言い慣わします。
ヤコブは弟ヨハネとともに漁師でした。父親は他の漁師たちを雇うことができる網元のようです(マルコ1章18-20節)。シモン・ペトロとアンデレ兄弟も雇われていた可能性があります。ゼベダイは息子たちにヘブライ語名のみを付けていることから、ユダヤ民族主義者であったかもしれません。ヤコブとヨハネ兄弟のサマリア人に対する憎悪から、ゼベダイ家の雰囲気が伺えます(ルカ9章51-56節)。その一方で、裕福な「父の家」を棄ててイエスに従うヤコブには、アブラハムとサラ夫妻のような気概も感じられます。
民族主義者ヤコブを、イエスはシモン・ペトロの次に、またヨハネに並んで重用します(マルコ5章37節、9章2節、14章33節)。つまり三人の高弟の席次は、ペトロ→ヤコブ→ヨハネの順です。この番付順がヤコブの競争心を煽ります。ヤコブは弟ヨハネも巻き込んで、自分をペトロよりも上位に据えるようにとイエスに直訴します(同10章35-45節)。イエスはヤコブに向かって「一番偉い者になりたい者は、すべての人の僕になりなさい」と諭します。
その後のヤコブは地味です。「その他大勢」という位置に甘んじています。他の弟子たちと同様に主の十字架から目を背け、主の復活を見ます。創立者の一人として初代エルサレム教会でも重鎮だったはずですが、シモン・ペトロや弟ヨハネ、主の兄弟ヤコブ、バルナバ、フィリポ、ステファノらの活躍に埋もれています。使徒言行録では一つの逸話しかヤコブに残っていません。それは殉教です。彼は十二弟子の中で最初の殉教者です(使徒言行録12章2節)。生前のイエスの教え通りに「地の塩」としての仕える生き方に転換したのでしょう。 JK