2024/04/10今週の一言

今回はイゼベル。「シドン人の王エトバアルの娘」であり、北イスラエル王国オムリ王朝のアハブ王の妻、アハズヤ王・ヨラム王の母です。

 シドンはフェニキアの主要な都市の一つです。前10世紀フェニキア人たちは「フェニキア文字」を発明しました。この一大発明は識字率を押し上げ、フェニキアは東地中海世界を股にかけた貿易で繁栄を極めます。北王国オムリ王朝は、文明の先進地シドンとの外交関係を重視し、政略結婚を図ります。これがアハブとイゼベルの結婚の理由であり、その結果豊穣神バアルを主神とする多神教を「国教化」するという政策が生まれます(王上16章31-33節)。

 王妃イゼベルはこの政策の徹底のために、ヤハウェの預言者を大勢斬殺しています(同18章4節)。多神教であれば他宗教に寛容という言説は短絡です。国家宗教は国策に批判的な宗教思想を弾圧するものなのです。生き延びたヤハウェの預言者エリヤは「イゼベルの食卓に着くバアルとアシェラ(バアルの配偶神)の預言者たち」との対決を望みます(同18章19節)。

フェニキア人イゼベルは、後進国イスラエルの風習を奇異に感じ蔑視しています。王権が弱く王が地主の土地を強制収容することもできないからです(同21章)。イゼベルは王を代理して、地主ナボトに冤罪を着せて処刑し、その土地をアハブ王のものとします。この件も、エリヤは王を面と向かって批判しますが、なぜか王は預言者に手をかけようとしません(同20・22章も参照)。イゼベルとエリヤの対立構図は、王権の強い「垂直型社会」と、預言者の自由な言論を許容する「水平型社会」の葛藤を象徴しています。

 王権の弱い北王国では王朝が何度も交代します。エリヤの弟子エリシャが支援する将軍イエフのクーデターによるオムリ王朝の終焉と共に、イゼベルは虐殺されます。王の娘・妻・母として彼女は最後まで毅然としていました(王下9章)。JK