今回は、ノア(「憩い」の意)という男性。ご存じ「洪水物語」の主人公です。
「ノアは彼の世代の中で正しく完全な男性/夫となった。ノアは神と共に自由に歩いた」(創世記6章9節私訳)。「正しく完全な」という形容は、他に義人ヨブにしか用いられません(ヨブ記12章4節)。「正しく完全な」の意味合いは、ヨブのように批判精神をもって神と共に自由に歩く生き方にあります。そして「自由に歩く」ことは、神のふるまいそのものです(創世記3章8節)。
ノアは暴力と不正義に満ちた世界にあって、全き神の言葉に従い自由な行動に出ます。巨大な「箱舟」(ヘブル語「テバー」)を作り、動物たちと家族を避難させるのです(創世記6-8章)。ちなみにテバーは、赤ん坊のモーセを救った「籠」(出エジプト記2章3節)と同じ単語です。救いという出来事は、嵐や激流の中で漂流する舟や籠に象徴されます。しかしこの嵐が神の暴力であることに違和を感じます。
箱舟から出て救われた後、ノアは真っ先に神を礼拝します。その時に、神はノアと子どもたちを祝福し、救いの契約を立て、契約のしるしとして「虹(弓)」を置きます(創世記9章13節)。暴力に対して暴力で報復することを神が止める決意が、武器である弓を置くという行為です。救いは神の自由な決断です。
ノアはその後「農夫」(直訳「その土の男性/夫」9章20節)となります。そして自分の収穫した葡萄から作った葡萄酒を大いに飲んで酔っ払い、自宅で全裸・大の字になって眠ってしまいます。これが「正しく完全な男性/夫」にふさわしい行動でしょうか。物語話者はノアを咎めず、むしろ彼を嘲る次男を咎めています。ノアのふるまいは、「大酒飲みの大飯食らい」と嘲られたイエスを彷彿とさせます。
時代から浮くほどの批判精神、あけっぴろげで自由な性格、何はともあれ神礼拝をする敬虔、土に仕える姿勢(アダム―カインの線)。これらのノアの人となりが、隣人や動物に「憩い」を与えたことでしょう。JK