今回は、ルカ福音書7章にだけ登場する、名の知られていない女性です。「罪深い女性」(37・39節。新共同訳)と呼ばれています。まず翻訳の問題から。「罪深い」という形容詞を37節も39節も名詞にして用いているので「罪人」とした方が良いと思います(34節「罪人」も同単語)。「罪深い女性」という翻訳は、「彼女が娼婦だった」という方向へと導きやすいものです。聖書読者にありがちな傾向です。そしてその思い込みが直後の8章2節に登場するマグダラのマリアにかぶさり、「マリアも娼婦だった」という思い込みへとさらなる誤導を引き起こしてきました。
マルコ福音書14章を参照し、元々の言い伝えは「シモンという人の家に女性が訪れ、イエスの体に香油を付けるという出来事があった」というものだったと推測します。ルカ7章においては、その元々の言い伝えに、罪人と律法学者の対比が合わさっています。そしてマタイ18章と共通する「多く許された人の譬え話」も合わさっています。ルカに独特な場面設定です。
女性はガリラヤにおける罪人の一例といえます。罪人とは律法(成文/口伝含む)を守ることができないために非難され、社会から疎外されていた人々の総称です。ファリサイ派の律法学者は、口伝律法の解釈を一手に引き受けており、誰が罪人に当たるかを判定できる立場にいました。シモンは何らかの理由で彼女を罪人と判定しています。判定する側と判定される側が鋭く対比させられています。
女性は、イエスが罪人と判定され断罪されている人々の傍らに常に立つ人であるということを、信じていました。ガリラヤ中を歩き回って、イエスは病気を癒し、徴税人と食事をし、子どもたちを祝福し、悪霊祓いを行ない、「罪人の仲間」「隣人」となっていたことを彼女は知っていたからです。イエスは律法学者たちが造作した諸々の罪なるものの存在を否定します。彼女は、イエスによる諸々の罪の否定と自身への肯定を、信じました。その信が彼女を救います。J