今回はヤッファという町のタビタという女性です(使徒言行録9章36-43節)。タビタはアラム語名で、その意味は「鹿」です。そこで鹿のギリシャ語「ドルカス」という名前を持っていました。ヨハネ・マルコや、サウル・パウロ、シメオン・シモンのような事態です。
ヤッファは東地中海岸地域の中でカイサリアに次ぐ大きな港湾都市です。おそらくフィリポによって、彼の系列の教会がステファノの殺害後まもなく建てられています(8章40節)。タビタはヤッファ教会の指導者です。「彼女こそは、彼女がし続けていた良い業と施しの充満であり続けた。」(9章36節私訳)という評に、彼女の存在そのものがキリストを証ししていたことを告げています。
彼女の自宅がヤッファ教会の礼拝のためにも、さらに一種の作業所としても用いられていたと推測されます。タビタは「やもめたち」と一緒に、下着や上着を多く作っていたからです(同40節)。彼女は自分の生業である事業の一部として、それらの服飾製品を売りさばき、その事業収益を貧しいやもめたち・労働に就けない者たちに配分していたことでしょう。タビタは「施し」だけではなく、職業と賃金をやもめたちに与えています。それが「良い業」です。ギリシャ語を第一言語とするやもめたちへの不公平な配分という課題と地続きの物語です(6章1-6節)。タビタは、フィリピ教会創立者のリディアという経営者と似ています。
タビタは病死します。雇用を創出してもらった地域の者たちと教会員たち(9章41節)は、みな彼女の死を悼みます。そして行動に移します。タビタを復活させるために、シモン・ペトロを二人の男性が呼びます。ペトロはイエスに倣い、「タビタ・クム(タビタよ、起きなさい)」と死者タビタに呼びかけ、彼女は起こされました(同40節、マルコ5章41節参照)。ヤッファ教会とタビタの実践は、現代的でもあります。恒久的日常的な「生活の資」を生む反貧困運動だからです。 JK