今回はエフタという男性の娘です。エフタは「大士師」と呼ばれる軍事指導者です(士師記11-12章)。アンモン人との戦争において、「ギレアド人」(マナセ部族の一氏族。ヨルダン川東岸地域に住む。民数記26章29節等)を率いました。
エフタには、聖書の中で名前が記されていない一人娘がいました(士師記11章34節)。父は娘を愛していたようですが、しかし、非常に軽率な行動をとってしまいます。「聖戦における願掛け」です。エフタは、アンモン軍に対する勝利を条件に、自宅から最初に出迎える者をヤハウェ神への犠牲として焼き尽くし捧げると、ヤハウェの神に誓ってしまったのです。娘が一人しかいない状況下で何という軽率な誓願でしょうか。彼女の意思もまったく無視しています。
エフタの娘は父の戦勝の報に喜んで、誰よりも先に自宅を飛び出て迎えました。戦争が日常的だった古代のこと、軍事指導者である父の無事の生還を祝う気持ちは当然の感情です。愚かな父は嘆きながら自身が娘に無断で行った誓願の内容を彼女に告げました。
彼女は父の誓願通りに殺されることを了承しました。ただし条件をつけます。「自分の境遇を嘆くために2か月の間自由に野山を友人と歩かせてほしい」と言うのです。エフタは彼女の願いを受け容れ、2か月後に帰宅した彼女を殺し、燔祭の奉献物として焼き尽くしました。この悲劇の後新しい習慣が生まれました。イスラエルの女性たちはすべて、彼女を記念して毎年四日間彼女のために嘆くという習慣です。現代で言えば#MeToo運動でしょうか。この思想は主の晩餐にまで継承されています。悲劇を記念することが聖書の民の習慣です。
さてエフタはどうすべきだったのでしょうか。ヤハウェは何を望んでいたのでしょうか。仮にエフタが誓願を反故にして娘を殺さなかったとしても、命の神は彼を罰さなかったのではないかと思います。JK