今回はヨブの妻を取り上げます。彼女の名前は知られておらず、ヨブ記2章9節にのみ登場する人物です。ロトの妻と同じく、さまざまなことを考えさせてくれる名脇役だと思います。以下はその個所の私訳です。
そして彼の妻は彼のために言った。「貴男は依然として、貴男の完全さを握りしめ続けている。貴男は神を祝福せよ。そして貴男は死ね。」
この発言の前には、二つの大きな悲劇があります。夫妻はある日、人災と天災によって全財産と十人の子どもたちを失いました(1章)。そしてその直後に夫ヨブは全身に皮膚病を患うのです(2章)。
妻は第一の悲劇の後に吐いた夫の言葉を心に留めていました。「裸(で)私は私の母の胎から出て来た。そして裸(で)私はそこへと戻る。ヤハウェは与えた。そしてヤハウェは取った。ヤハウェの名前が祝福されるように」(1章21節)。
裸になって全身を搔き続け、かゆみと闘っている夫ヨブを見ながら、妻は何を考えて2章9節の言葉を語ったのでしょうか。従前言われているように彼女は「悪妻」なのでしょうか。例えば新共同訳のような「まだ完全なのか。神を呪って死ね」という翻訳は、一文目を疑問文と採り、二文目を「呪う」(直訳は「祝福する」)と採ることから、悪妻説を強めています。しかし1章21節を念頭に置けば、ヨブの妻は「生きるも死ぬも主を礼拝しつつ」と言っているように読めます。
直後のヨブの逆上から妻は彼を批判していると推測できますが、問題は彼女が彼の何を批判しているのかということです。彼女はヨブが頑として自分の完全さを主張する態度を批判しています。神のみが完全であるべきところ、自己絶対化し神の地位に座っている夫に対して、彼女は「自身の言葉通り神のみを礼拝せよ」と言っています。彼女はこの不条理の苦しみの根源に、唯一完全な神がおられることを知っており、夫のため「謙虚になるように」と諭しています。JK