今回はナタナエルという男性弟子。ヨハネによる福音書にしか登場しない人物です(ヨハネ福音書1章43-51節、21章1-14節)。共観福音書に登場するバルトロマイという弟子と同一視されることもあります(マルコ福音書3章18節)。
ナタナエルはガリラヤ地方のカナという町の出身です(ヨハネ21章2節)。その町にナタナエルの好むいちじくの木があったようです。彼は毎日その木の下に座り、神に思いを傾けて、心の安らぎを得ていました。神の民イスラエルの象徴であるいちじくの木の下で「脅かすものは何もない」ことを体感し(ミカ4章4節)、霊性を深めていたのでした。
いつもの日課を終えると、顔なじみのフィリポという友人にばったり会いました。フィリポの連れの二人は同郷の漁師の兄弟だそうです。彼らは興奮した口ぶりで、「ナザレ出身のイエスという男性を、旧約聖書が啓示する救い主と信じて彼の弟子になったこと」「そのイエスの結婚式参列に連れ立ってカナの町に来たこと」を、嬉しそうに話しています。「あなたも彼の弟子になったらどうか」。
ナタナエルは冷めます。カナから見ると奥まった山間の村ナザレを侮蔑しながら、彼は言います。「ナザレ由来で、何か良い事物が存在することがありうるか(ありえない)」(ヨハネ1章46節、私訳)。フィリポは反論します。「あなたは来い。そしてあなたは見よ」(同節後半)。「よし」とばかりにナタナエルがイエスの方に向かうと、イエスは先んじてナタナエルに遠くから語りかけます。「真のイスラエル人よ。わたしはいちじくの木の下にいるあなたを見た」(47-48節要約)。
ナタナエルの背中に稲妻が走ります。自分の大切にしていることを肯定され、自分がイエスによって内面に至るまで人格的に知られていることが分かったからです。ナザレ人を軽蔑した罪をナタナエルは悔い改めて弟子となります。そして、ガリラヤ湖畔で復活のイエスを見る七人の一人となります(21章)。JK
