11月28日はエレミヤ書14章10-16節を学びました。
エレミヤは干ばつに見舞われた時に、南ユダ王国の苦しむ民のために執り成しの祈りを捧げます(1-9節)。自然災害が民の罪に対する神の審判と信じられていた時代のことです。神の答えは意外なものでした。「この民のために祈り、幸いを求めてはならない」(11節)。神はエレミヤに民への批判をせよと命じます。神自身の痛烈な言葉がその典型です。「彼らはさまようことを好み、足を慎もうとしない」(10節)・「わたしは剣と、飢饉と、疫病によって、彼らを滅ぼし尽くす」(12節)。民自身が不幸を選び、自ら吟味しようともせず暴走している、だから戦争によって懲らしめるのだと神は語ります。
エレミヤは自らが少数意見の持ち主であり、他の預言者たちの方が圧倒的に多数であって、民は多数派の意見になびいている状況を神に告げます(13節)。エレミヤは北の大国バビロンが侵略することを警告していますが、王宮に近い預言者たちは「剣も飢饉もこの国に臨まない」(13・15節)と安易なかたちで明るい未来を約束します。このような預言者を選んでいるのは民自身です。だから神の裁きは、偽の預言者と民にも及ぶのです(16節)。
特定秘密保護法案が衆議院で強行採決され通過しました。この事態について、「日本の民は民主主義を自ら棄てる選択をした」と評した人がいます。わたしたちはさまようことを自ら選んだのです。昨年12月の衆院選・今年7月の参院選は、憲法を明文で変えることや憲法を骨抜きにすることへの賛成です。国会議員を預言者になぞらえるならば、わたしたちが選んだ国の代表です。
法案の問題点は「知る権利」の侵害、報道機関の萎縮、表現の自由の侵害、冤罪が増える可能性などなど、憲法原理のうち最も大切な人権保障にかかわるものです。また、良心的内部告発が減り官僚支配が強まることから、三権分立や主権在民という憲法原理にも触れるものです。しかしそれだけでもないでしょう。
日本がもう一度戦争のできる国になること、つまり憲法原理の一つ、「戦争放棄」の放棄が肝です。米軍との情報共有・武器輸出三原則緩和・集団的自衛権行使と一体化した法案提出です。もう一度戦争の惨禍を味わわなくては学べないのか、今、わたしたちは分かれ道に立っています。(JK)