2/4 「母の会」説教 コリントの信徒への手紙二 13章11節

今日の聖書は2月の暗唱聖句です。

「平和を保ちなさい」という言葉、新約聖書の原語であるギリシア語では、ただ一単語で表されています。エイレネウエテという一言で、「あなたがたは平和に生きなさい」という動詞(主語を含む)です。ここではこの動詞には珍しく、「互いに」という副詞が省略されています。わたしたちは「互いに」を補って理解すべきです。つまり、平和とは一人で作り上げられるようなものではないということです。聖書の平和は孤独な平穏無事ではありません。むしろ相互の作用です。

コリントの信徒への手紙はパウロという人がコリントの教会に宛てた2000年前の文書です。コリントの教会は、パウロの誤解も入り混じっていますが、内部紛争の火種を常に持っていた集まりでした。タコ足大学のように、いくつかの場所に集会所が分かれていました。そして有力な指導者がそれぞれにいました。それらをまとめて「一つのコリント教会」を形作っていました。この状況の中で、パウロは「互いに平和に生きなさい」という便りを書きました。その直前の文章は、「思いを一つにしなさい」(別訳、互いに賛成しなさい)です。ひとつになろうとすることが、平和に生きるということの含みです。

いづみの保育の特徴は、一人ひとりの個性を尊重し伸ばすことにあります。伝統的に(それは40年以上前にあって先駆的だったという意味ですが)、統合保育を行っているのも、色々な人がいて良いということの現れです。英語で言うdiversity(多様性)を大切にしています。わたしたちは画一化に反対します。あえて言えば、キリスト教という一色に染め上げることすら警戒しています。もしそれが強制的ならば。

ただし、多様性の影に埋もれがちになるのですが、実は多様性を前に出すということは、同時に一つになろうとする普段の/不断の努力を行っていることでもあります。ばらばらだけど誰とも肩を組める人でなくてはいけないからです。それが人間の社会というものです。そこには知恵が必要です。多様な人が多様なままに一つの群れをかたちづくり平和に生きるための、一つの知恵を今日は申し上げます。

「70%ルール」というものです。たとえば大人とこどもでは理解力が違います。どちらかに合わせればどちらかがある程度不満足になります。日本語が母語でない人とコミュニケーションを取る場合もそうです。「障害」と呼ばれるものを持つ人と付き合う場合もそうです。「この仲間と一緒に過ごすときには70%の満足で良い」という考えをお互いに持ち合うことが大切です。共同生活とはそういうものです。

このことは単なる我慢の勧めではありません。「みんなが損するルール」の押し付けではありません。「100+100+・・・が、70+70+・・・になった」と考えると、損した気分になります。わたしは、70×70×・・・が起こると考えています。なぜなら、互いの我慢した30%の中身は成熟した愛だからです。そこには足し算を掛け算に変える力があります。このような平和を互いに保ち、つくりたいと願います。